岐阜の春

先週、娘たちのヤマハの発表会が終わってから、久しぶりにゆっくり岐阜に帰省していました。実家に着いて早々、娘たちと庭の草むしりをしたり、実家の前の農道を散歩して花摘みをしたり…のんびり過ごしました。



長女は、岐阜で7歳の誕生日を迎えました。3月末生まれだから、やっと7歳。逆子でなく予定日あたりに産まれていたら、今年小学校入学だったから、1年生本当によく頑張ったね…という気持ちです。


誕生日の午前中は、田んぼの中の道を散歩して、娘たちは夢中で花を摘み…


当たり前に咲いている花ばかりだけれど、可愛いブーケができて大満足の様子でした。


おばあちゃんが娘たちと一緒にホットケーキを焼こうと言っていたので、私にはやりたいことがありました。


しろくまちゃんのほっとけーき』みたいな、ホットケーキで誕生日。(一番上の小さいのは残った生地を集めて焼いた、チワワのコタロウ用) いちごは子どもたちが飾りました。

午前中に摘んだお花も誕生日のお祝いみたいになり、おじいちゃんおばあちゃんもコタロウも一緒に、楽しくお祝いできました。娘たちも喜んでいたし、みんなであっという間に食べられたし、こういう誕生日ケーキもいいものだなあと思いました。



土曜日には夫と合流して、母と妹も一緒に犬山まで足をのばし…名鉄犬山ホテルで温泉と食事(^^) (私は風邪気味だったので温泉は断念)


みんなが温泉に入っている間に、国宝の茶室「如庵」を見ることができ、満足でした。おばあちゃん、ごちそうさまでした(*^_^*)



犬山の桜も良かったですが、地元の桜も本当にきれいです。

娘たちが「鶏が卵を産んでいるところを見たことがない」と言うので、実家の近くの農場まで散歩して卵を買いに行ったりもしました。私の同級生の実家で、小学生の頃には弟と自転車でよく卵を買いに行ったり、鶏を見に行ったりしていた農場です。娘たちは初めて見る鶏舎の様子に、興味津々でした。
双子の卵ばかり入ったネットがあったので、購入。

早速翌朝、目玉焼きに。濃厚でおいしい卵です。




娘たちと摘んで歩く、何でもない春の野の花の咲く風景が、とても大切に思えました。
実家の周辺は、私が中学生の頃までは田んぼばかりで本当にのどかな田園地帯だったのですが、高校生の頃に田んぼの中に大きなイオンができ、特にここ数年は帰るたびに新しい店が増え、家が増え、開発がどんどん進んでいっています。変わっていく風景に淋しさや痛みを感じつつ…


月曜日には、姪っ子と義妹に会いに、弟夫婦の家に行きました。(姪っ子と義妹は金曜日に実家に来てくれたのですが、また会いたくて…(*^_^*))

3人ずっと仲良く遊んでいました。姪っ子もお姉ちゃんたちに遊んでもらうのが嬉しいらしく、終始ご機嫌。娘たちは可愛い姪っ子の取り合い…。3姉妹だったらこんな感じなのかなあ…と妄想しながら微笑ましく見ていました。


木曽川沿いの桜も満開で、本当に散歩日和でした。5人での散歩も楽しかった!


久しぶりに地元の友達にもゆっくり会えました。Mちゃん、忙しい中時間を作ってくれて、本当にありがとう(*^_^*)夏にぜひまた会おうね。

誕生日にロールケーキ

tamago-ayako2013-03-27

最近は日々のことをFacebookに短く投稿することが多くなり、ブログから離れがち…
次女の誕生日からも、もう10日ほど経ってしまいましたが…
5歳になりました。
4歳の次女にもう会えなくなるのか…と思うと、前日はちょっと切ない気持ちになりました。4歳、かわいかったなあ…。


誕生日の日には出かける予定があったので、前日に家族でお祝いしました。友達に教えてもらった米粉ロールケーキのレシピを初めて試してみました。
材料3つ!簡単もっちり♡米粉ロールケーキ ←このレシピ、本当に簡単で初めてでももっちりおいしくできて、素晴らしい!


夫と子どもたちにも「おいしい!おいしい!」と好評で、1本ぺろっとなくなりました。次女には「グッジョブ!」と言われました(^^ゞ


12月や3月など、お祝いやイベントが続く月に、市販のケーキを買って食べることに飽きたのと(贅沢な話ですね…)、お財布にもやさしい♪という理由で、どちらかというと必要に迫られて、何年か前から誕生日などには簡単なケーキを焼くようになりました。学生時代や独身時代にはお菓子を作るなんていう趣味がまったくなかった自分が、まさかケーキを焼くようになるとは思いも寄らなかった展開です。家族や子どもをもつようになると、色々と必要に迫られるものですね。でも、確かに自分で作る方が甘さが控えめで大きなサイズのケーキでもおいしく食べられるのと、子どもたちと一緒に飾ったりできる楽しさがあります。
ここ数年、なかしましほさんレシピのジャムロールケーキが活躍していたのですが、今回初めてクリームやフルーツを入れたロールケーキに挑戦できて、簡単なんだけれどなんだか女子力が上がった感じがして、嬉しい(*^_^*)



気を良くして、2、3日後にまた焼きました。ホイップがまだ半分残っていたので。

ケーキを焼くと、ロウソクを立てたがる子どもたち。この日は長女の提案で、次女と長女の3月生まれのお祝いにしよう!ということになり、3月なのでロウソク3本(←これも長女発案)。

前回よりさらに良い感じの出来で、満足。次はバナナとか他のフルーツでぜひ試してみたいな!



子どもたちも、それぞれ修了式が終わり、春休みに突入しています。
次女は修了式前夜に熱を出し、修了式には行けず。長女も修了式前日の午後から熱を出し、修了式に行けないかと思われたものの、朝には36.9度。また熱が上がるかもしれないから休んだ方がいい、と言ったのですが、涙をぽろぽろこぼして、1年生のクラス最後の日だから行きたい、と言う。1年生のクラスが本当に楽しかった、と言っていました。そう言えるのは何よりも幸せなことやなあと思いました。
大変なことも多かったクラスだと思うのですが、1年間必死にまとめてくださった担任の先生に、心から感謝しています。連絡帳の最後で先生への感謝を伝えると、お忙しい中先生も返事を書いて下さり、「大変だと思ってスタートしたクラスでしたが、ふりかえれば大笑いしたことばかりを思い出します」とありました。きれいごとではすまされないような、しんどいことも多かっただろうと先生を慮るのですが、最後にそんなふうに振り返ることができる先生を、素敵だな…と思いました。
でも、みんな明るくて子どもらしくて、私も絵本読みに入るのが一番楽しかったクラスでした。
本当にあっという間に1年生の1年間が終わってしまいました。もう2年生…早いなあ…



今日は次女が修了式の日に担任の先生に渡すはずだった手紙を、3人で散歩がてら幼稚園に届けに行ってきました。桜もほころび始め、娘たちとのんびり過ごしています。

中川李枝子さん

今週のエレクトーンのレッスンで先生に、グレードについて、「せっかくなので、演奏でA評価を目指しましょう」と言われました。評価はA〜Eまであるらしい。A評価の演奏について、自分なりに模索しながら練習中…。


幼稚園はあと火曜日の修了式だけ。小学校はあと3日。
春休み〜4月の午前保育の期間、内職は休みを取ることにしました。GW明けにお弁当が始まってから、再開の予定。先日やっと長期休みの連絡の電話をかけてほっとして、ちょっと気持ちにゆとりができて、久々に部屋の断捨離に着手。なんとなく部屋がすっきりしたので、ずっと遊びに来てもらいたいと思っていた近所の友達親子に、やっと遊びに来てもらいました。部屋をちゃんと掃除できるから、たまに誰かに遊びに来てもらうことは大事ね…(^^ゞ



先週の日曜日、『ぐりとぐら』を書いた中川李枝子さんの講演会に行ってきました。絵本好きの友達が声をかけてくれました。一緒に行く!と言って楽しみにしていた長女が、前日の夜からお腹が痛いと言ってどうも不調そうだったので、元気いっぱいの次女を連れて。(長女は「中川りえこさんに会いたかった…」と涙をぽろぽろとこぼしていて、本当にかわいそうだったのですが…(>_<)夫と留守番…)

ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)

ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)

早めに会場に入れたので、一番前の端っこの席に座っていたら、講演の少し前に会場に入っていらっしゃった中川さんが、講演までの間座って待っている椅子がない…ということで、「ここに座って待っていてもいいかしら…?」と私と次女の隣に座られました。そして次女に「いくつ?」と話しかけて下さったり(次女「4さい!もうすぐ5さい!」。中川さん「まあ〜…大きいわねえ!」)、「退屈したらそのへんを走り回っていてもいいわよ」とおっしゃったり…色々話しかけて下さいました。


私が物心ついた時から読んでいた『ぐりとぐら』の絵本には、私の名前が書かれた中川李枝子さんのサインがありました。私が生まれた年のもので、母が中川さんの講演会に行った時に書いていただいた、とのことでした。それで、私は子ども心ながらに、私の名前を書いてくれた「中川李枝子さん」の存在を、ずっと温かく感じ続けてきました。
そして長女が生まれ、次女が生まれる少し前、中川さんの妹の山脇百合子さん(『ぐりとぐら』の挿絵を描かれた方)が岐阜に講演に来られ、母が同じ絵本に今度は長女の名前を書いていただきました。そして今回、母に頼んでその『ぐりとぐら』を送ってもらい、講演の後で次女の名前を書いていただくことができました。中川さんは「まあ〜、これはずいぶん昔のものねえ…!」とおっしゃいながら、サインして下さいました。
将来、娘たちが母親になったら、またきっと『ぐりとぐら』を自分の子どもに読むだろう…と思います。そんなふうにつながっていくことの不思議を、感じました。



私は、中川さんに直接お会いしたのは、初めてでした。想像していた以上に面白くて楽しくて明るい方で、1時間半の講演はあっという間でした。中川さんが関西に来られることはめったにないと思うので、本当に貴重な機会だったと思います。
中川さんは札幌で生まれ、北大の農学部で助手をされていたお父さんが、休みの日には北大の牛や羊のいる広い牧場(中川さんの絵本によく出てくる「はらっぱ」の風景につながる気がします)によく連れて行ってくれて遊んでくれたことなどから、話しはじめられました。家にはお金がなくて貧しかったらしいけれど、お父さんがしてくれるお話と「たかいたかい」はお金がいらなかったこと、お父さんはお話をしてくれるとき、なんでもかんでも「大きなもの」が好きで、お父さんのお話には大きなくじらがよく登場したこと、その後引っ越した東京の幼稚園や小学校での思い出、そして戦争中にはまた札幌の祖父母の家に疎開していたこと…。
「戦争中でも、子どもはやっぱり面白いものがないと生きていけないんですよ」と中川さんはおっしゃっていました。何もなくても、何か面白いものを見つけ出すのだ、と。中川さんは、疎開した札幌で両親の友達や親戚の家に招かれると、その家の本がある場所、というのがわかった、と言っていました。嗅覚みたいなもの、と。そこで戦争が始まる前の時代の素敵なものをたくさん見つけて(当時の札幌は東京に比べてまだのんびりしていてそういうものも残っていたらしい)、大人の雑誌でも小説でも、読めるものはなんでもかんでも読んだ、と言っていました。「この本は子どもにはまだ早い」と取り上げられても、今度は隠れて読んだ、と言っていました。それで、分からない言葉が出てくると大人には聞けないから、その都度自分で辞書を引いて調べたそうです。「私が初めて辞書で調べた言葉は、『めかけ』です」と笑っていました。(「めかけ」を引いたら「妻にあらざる女。」と書いてあったので、今度は「つま」を引いてみたら「婚姻せし女。」と書いてあり、それで次に「こんいん」を引いてみたら「結婚。」と書いてあったので、中川さんは納得しておやつを食べて外へ遊びに行ったそうです(笑))
札幌の祖父母は優しかったけれど、それでも、東京の両親や長野に集団疎開した小学校の友達に会いたくてたまらなかった、と言っていました。自分の持っているおこづかいで東京に行けないか計算したり、鉄道の線路をずっと歩いて行ったら東京に行けるんじゃないか…と考えたりしたけれど、お金はないし、北海道と本州の間には津軽海峡があるから無理だった、そんな時に北海道の広い空を見上げると、空は両親のいる東京にも、友達のいる長野にもつながっている、この空を自由に行き来できたらいいのに…と思った、その願いが『くじらぐも』なんです、とおっしゃっていました。(『くじらぐも』は、1974年から小学校1年の国語の教科書に載っています。)
戦争中の体育の授業は、整列したり行進したり、軍事教育だったんです、ともおっしゃっていました。だから軍事教育の体育じゃなくて、子どもたちと先生が楽しくのびのびと体を動かして体操したり思いっきり走ったり、そんな体育の授業がいいなあ…と思っていた。そして、お父さんのお話によく登場した大きなくじら…。そうだ、大きなくじらの雲に乗って、自由に空を行き来できたらどんなにいいだろうなあ…。「だから、『くじらぐも』は私の平和への願いなんですよ」と話されました。
戦後、お父さんが福島の蚕糸試験場で働くことになり、一家は福島に住むことになりました。中川さんが通った福島の新制中学校に、本が数冊置いてあるだけの図書室があり(戦後、GHQからすべての学校には図書館がなくてはならないという指導があり、それで本が数冊でも「図書室」と掲げられた部屋があったらしい)、そこにある日、真新しい岩波少年文庫の『ふたりのロッテ』が置かれていた。夢中になって読み、家に帰ってその素晴らしい本の話をすると、両親が買ってくれた。家族みんな夢中になって読んだそうです。
その後またお父さんの転勤で東京に戻り、東京都立高等保母学院を卒業後、「日本一の保育士になる」と思って、でも気に入らない人の下で働くことは嫌だったから、1箇所だけ「求む!主任保母」と書いてあった駒沢の「みどり保育園」で働くことに決めます。
この「みどり保育園」は無認可の保育園で、先生は園長先生と「主任保母」の中川さんの2人だけ。のちに駒沢オリンピック公園になる、広大な原っぱの端っこに小さな保育園があったそうです。中川さんは、その原っぱがとても気に入ったのと、園長先生から言われたのは「子どもたちが毎日喜んで通ってくる保育園にすること」「欠席者が一人も出ないような保育をすること」の2つだけ。それから15年間、この2つをとにかく一生懸命にやりました、とおっしゃっていました。(当時はまだ戦後間もなくて町の中には今とはまた違った危険が色々あり、安全のためにも、親たちが外で働いている間、保育園できちんと子どもたちをみるのがいい、という考えがあったようです)
その「みどり保育園」が、『いやいやえん』の「ちゅーりっぷほいくえん」なのだそうです。

いやいやえん (福音館創作童話シリーズ)

いやいやえん (福音館創作童話シリーズ)

子どもたちが毎日喜んで通ってくる保育園にするために、子どもたちを惹きつけるために、中川さんは、子どもたちが喜ぶような面白いことを必死になって考えました。子どもたちは今とは違って、「行ってきまーす!」とお弁当を持って、みんな家から1人で通ってきていたそうです。「だって、保育園に来るまでに広ーい原っぱがあるでしょ。保育園が面白くなかったら、原っぱで遊ぶ方が断然面白いに決まってるから、原っぱで遊んでお弁当食べて、夕方になったらおうちへ帰って…保育園なんか来ないじゃないですか。私の仕事は園長先生から言われた『欠席者が一人も出ないような保育をすること』だから、これをちゃんとやらなくちゃ主任保母の名がすたる、と思って、どうしたら子どもが喜んで保育園の方に来るか、必死で考えましたよ…」。その一つが「絵本」であり、中川さんの作る「お話」だったそうです。
ある時、子どもたちが岩波書店の『ちびくろさんぼ』に夢中になった。毎日毎日、何回も何回も読んで、そのうちに子どもたちが『ちびくろさんぼ』の遊び(劇遊び)まで始めるくらい夢中になった。あんまりみんながそのお話の世界に夢中になっていたものだから、ある時、園長先生が保育園でホットケーキを焼いてみんなで食べよう、と提案した。「今みたいに、ホットケーキミックスなんて便利なものはないから、小麦粉とお砂糖と牛乳と卵とバターで、保育園にあったフライパンでね。『ちびくろさんぼ』のお話みたいにたくさんはできないし、そんな立派なものじゃないけれど、ホットケーキを焼いて、みんなでちょっとずつ分け合って食べたんです」。
子どもたちは、保育園で先生がホットケーキを焼いてくれて、友達と分け合って食べたことが、とても楽しくて嬉しかったらしい。ホットケーキを初めて食べたという子も多かったようです。そして子どもたちが家に帰って親たちに話したホットケーキの話は、「こーんなに大きなホットケーキで、とってもおいしくて…」と、ものすごく立派なホットケーキになっていたそうです。
その話を子どもたちの親から聞いた中川さん…本当はそんなに大きなホットケーキじゃなくてちっぽけなホットケーキだったのに…じゃあ、お話の中でみんながびっくりするような大きなケーキを焼いて、子どもたちにプレゼントしよう、と考えた。「だから『ぐりとぐら』のお話は、私から子どもたちへのプレゼントだったんですよ」。
子どもたちに聞かせてくれるお話に、とにかく大きなものを登場させることが大好きだったお父さん…だから、中川さんもまず「おおきなたまご」で子どもたちをびっくりさせよう、と考えた。そして、ホットケーキじゃなくて、当時一番高級なお菓子だったカステラ…。焼くのは「とらのバター」じゃなくて、本物のバターを使ってね…
中川さんのお話の底に流れる温かさの秘密を、垣間見られた気がしました。
「だから、私が作るお話は、全部子どもたちからもらったものなんですよ」



ぐりとぐら』が生まれて、今年で50年。
そんな年月を感じさせず、そしてこれからもずっと世界中で読まれていくであろう1冊は、人と人の本当の心の通い合いの中から生まれたんだなあ…って、中川さんの言葉から感じることができました。
あの日、お会いできてお話を聞けて、本当によかった。中川さんのお話から受け取った大切なものを、大事に心の中で温め続けたいです。



そして、調べていたら、中川李枝子さんを「主任保母」として雇った園長先生、天谷保子さんが本を出されていることを知りました。

ありのままがいちばん。

ありのままがいちばん。

この方も、相当に素敵な方のようです。本を読んでみたいと思いました。

京都水族館と梅小路公園

tamago-ayako2013-03-09

先日、初めて京都水族館に行ってきました。
大学時代にランドナーを買った自転車屋さんの目の前に水族館ができるなんて…。オープンして1年。もうそれほど混まなくなってきただろう…と見計らって行ってきました(私は並ぶのと渋滞が大嫌い)。



人はよく入っていましたが、それほど混雑することもなく、色々な魚が見られました。最初の鴨川の展示が京都らしかったです。山に降った雨の滴が集まって、小さな流れになり、川になり、海へそそぐ…という流れで展示されているのも、とても素敵だなあと思いました。


そしてやっぱり、遠くまで行かなくてもイルカショーを見られるようになったことが、私は嬉しい。新幹線をバックにイルカショーを見られる水族館は、相当珍しいのではないでしょうか…。


昨年のGWに家族で行った鳥羽のイルカ島のイルカショーが、がっかりな内容だったため…(イルカが全然ジャンプしないしおじさんが呼んでも来ないし…まったくショーになっていなかった…)たぶんそのせいもあって、3頭のイルカの賢さに、感動もひとしおでした。

イルカがジャンプしている後ろの公園では、みんなが普通にボール遊びをしたり傘を使った踊りの練習をしていたりする光景も、不思議。そういうところもなんだか京都らしいような。



↓ 夫が、かわいいから絶対食べたいと意気込んでいた「すいぞくまん」に、

↓ 「すいぞくパン」。


↑ オオサンショウウオは、あんパンになっていました。



やっぱり癒される大水槽。

↑ 大水槽を2階から見たところ。こじんまり感もなんだかいいな〜…。



私は、スロープの通路にあったタイルの魚たちにすっかり心を奪われ…



バシバシ写真を撮り続けました…。先頭はいつもオオサンショウウオ



水族館を堪能したあと、梅小路公園の梅林へ。(私は京都市内に6年住んでいたのですが、梅小路公園に来たのは初めて…)


まだまだ寒い日でしたが、梅はきれいでした。


梅を見ていたら、梅小路蒸気機関車館の方からSLスチーム号が「ポーーーッ!!!」という大きな汽笛を鳴らして走ってきました。京都に住んでいた時(しかもここから結構近いところに住んでいたから…)この汽笛は日常的に聞いていたのですが、SLスチーム号を見たのは初めて。本物の大きなSLです。私も夫も興奮!
…これはやっぱり乗らなあかんやろ…ということになり、行きましたよ…梅小路蒸気機関車館。いつか行きたい行きたいと思っていたのですが、ここも初めて。もっと早く来るべきだった…。



すごいですよ…ここ…。

本物の蒸気機関車

こんなにいっぱいあるなんて…。
私はもうなんか身体がゾクゾクするような、身体の底から熱くなるような感じでした。古墳とか古いお寺とかお城とか…そういう古い時代の思いみたいなものがいっぱい詰まった場所へ来ると、いつもゾクゾクと何かを感じます…。久々の感覚でした。



…すごすぎる!すごすぎる!


こんなにもたくさんの本物の蒸気機関車を見られる場所は、日本でここしかないでしょう…。私はこんなにたくさん、初めて見ました。
蒸気機関車がこんなにも大きいことに改めてびっくりさせられたし、人の手で作られた、思いが詰まりすぎている乗り物だと感じました。ここに集められて大切に保管されているんやね…。でも、この蒸気機関車は父が子どもの頃まではまだみんな現役で走っていたんよね…。



もちろんスチーム号にも乗り、その後また寒いのも忘れて興奮して機関庫の中を歩き回り、写真を撮って回り、ハッと気づいたら身体が芯まで冷え切っていました…。
なんとか七条通まで歩いて、タクシーを拾って、イオンモール京都へ行き、ハマムラに飛び込んで全員ラーメンを注文!ようやく人心地つけました…。でも、楽しかった…!


考えてみたら、1月2月はインフルエンザとバレエで飛ぶように過ぎ去り、家族4人で遠出したのは元旦のライオンキング以来かも…。


水族館はともかく、梅小路公園蒸気機関車館はまた、もう少し暖かいときに行きたいな〜。

伸びられるゆとり

今週、エレクトーンのレッスンに行って、なんとか編曲した5曲を弾き終えたら、レッスンの最後に先生から「グレード6級の申し込みをしていいですよ」と言われました。まだもう少しかかるだろうな…と思っていたのですが、あっけなく。今月中に申し込みをすると、5月初旬の受験です。
先生に「頑張って練習します…」と言ったら、「十分頑張ってるので大丈夫です!(^_^)」と言われました。そうか…。



私はピアノの個人レッスンを小2から高3まで受けて、特に小3から高3までは結構厳しい先生に習っていたのですが、レッスンの方は毎回先生に「しっかりやりなさい」と言われながらも、全然やる気が出なくてあんまり伸びませんでした。レッスンに行くのは毎回気が重くて楽しくなかったし、基礎練習も好きじゃなかったけれど、ただやめてしまうのはなんとなく悔しくて、それだけで続けていました。
その一方で、小学校や中学校では合唱などの伴奏をずっと弾かせてもらっていました。それは先生にレッスンでみてもらうわけではなくて、自分1人で好きなように練習すればよかったので、のびのび弾けて、しかも授業や文化祭や卒業式という発表の場もあったので楽しくて(さらにそこで褒められたりするとまた調子に乗って嬉しくて)、レッスンよりもそういう自分ののびのびした時間の中で、幸いに周りから色々な経験の機会も与えてもらって、だんだんピアノが好きになり、弾けるようになっていった気がします。
なんとなく思うのは、普通の子どもはたぶん、厳しい指導でピアノが好きになる訳ではない…ということです。



でも、小3から高3までピアノを習った厳しい先生には、小3から小6までヤマハのグループレッスンでもお世話になり、そこではとても貴重な経験をたくさんさせてもらいました。「新世界」や「『軽騎兵』序曲」などのクラシックの曲を、ピアノやエレクトーンや打楽器などのアンサンブルで演奏したり(先生が編曲されていました)、JOC(ジュニアオリジナルコンサート)の大会に何度も出させてもらったり、ドラムやシンセサイザーを習ったり…。グループレッスンでも先生は厳しかったけれど、それは先生自身が私たちや音楽に対して妥協しない厳しさで、厳しい中にもいつも楽しさがありました。グループのメンバーは、みんなそれぞれにピアノやエレクトーンやドラムが上手くて、それぞれの得意な楽器やパートを生かしながら、色々な曲を合わせていくのがすごく楽しかった。
(私はグループの6人の中で1人だけ学年が1つ下だったのですが、高校に入学したら1つ上の学年にグループのうちの3人がいて、みんな音楽を続けていて、高校でも吹奏楽部や合唱部や学校祭のバンドなどで活躍していたので、すごいなあと思いました)


たぶん、楽しい、ということと、伸びしろ的な自由に動き回れるゆとりがあることが、子どもにも大人にも大切なんじゃないか…と、自分が楽器を再開したり、娘たちが何かを習うようになったりしたこの頃、思います。



今、自分ががむしゃらに上達したいと思って鍵盤に向かえたり(今さらかもしれませんが…(^^ゞ)、フルートを楽しく吹けていたりするのは、先生や家族(主に夫)が、決して押し付けることなく距離を置いて見守っていてくれるからじゃないか…と思います。



娘たちも安心してのびのび好きなことができるように…、ただ見守れる親になれたら…と思います。



そうそうそれから、近大で落とした1科目だけ夏に奈良教育大で受講した司書教諭、無事に通って、先日、文部科学省から修了証書が届きました。司書資格も含めると、思い立ってからかれこれ4年。こちらも、家族や保育園や幼稚園の先生方など、たくさんの人の励ましや支えがあって取れたことを、ずっと忘れずにいたいと思います。
今後、色々な場面で、学んだことを生かしていきたいです。

今年も桃の節句が


この2月は本当にあっという間でした。なんだか年々、月日の過ぎるのが早くなっているように感じられます…。
2月は私のインフルエンザA型感染に始まり…1月末の次女から丸2週間、インフルエンザにやられていました。
そんな中、家族でただ1人インフルエンザにかからなかった長女。今、学校ではB型が流行っていて、1年生はとうとう全クラス学級閉鎖になったのですが(長女のクラスは最後まで踏ん張っていた1クラス…)、今のところ長女は元気です。1〜3歳の頃はすぐに熱を出していた子が、丈夫になったなあ…と思います。



インフルエンザから回復した後はまず、次女の幼稚園の音楽発表会があり、翌日には長女のバレエサークルが市の文化祭に出演し…

翌週には長女のバレエサークルのおさらい会があり…

長女も次女もそれぞれに、1年の素直な成長を感じられました。



その合間に私は、小学校の絵本読みに吹奏楽の練習にエレクトーンの練習(←編曲あとひと息です!)…そして先日は長女の小学校での楽器紹介の授業に参加させてもらってきました。近所のクラリネット吹きのパパさんが誘って下さって、当日はフルート・ピッコロ3名、クラリネット4名、ホルン1名、パーカッション1名の総勢9名で、3、4年生の前で演奏してきました。



2時間目に3年生、3時間目に4年生の、2回公演。やっぱりまっすぐな反応をしてくれる子どもたちの前で吹けることは楽しく、こちらも貴重な経験をさせて頂きました。またこのような機会を頂けたら、ぜひ演奏に参加したいと思いました。



最近またつくづくと思うことは、どんなことも、ゆっくり長く楽しんで続けていくことの大切さです。一生をかけて自分の傍らにあり、心を温め続けてくれるような何かに、子どもたちが出会えますように…と願ってやみません。



さて、長女のバレエのおさらい会が終わって1週間。今日からとうとう、やる気満々の次女がバレエの体験に通い始めました。昨年も体験に行って入りかけたのですが、次女と私の色々な負担を考え、年長になったらまた次女が本当にやりたいかどうか聞いてみようと思って、入会を見送りました。(それがついこの間のことのような気がするのですが、あれからもう1年!)今年は次女もバレエの様子をだいぶ理解するようになり、おさらい会の前後からバレエのレッスンに行く日を指折り数えて待っていました。来年はお姉ちゃんと一緒におさらい会の舞台に立ちたい!!と言っています。下の子はすごいわ…



そして長女はきっぱりと「ピアノやエレクトーンをもう少しやったら、そのあとはフルートを習いたい」と言っています…(最近私が家でフルートの練習をしていると、長女が私の傍に正座して、目を皿のようにして見ているのでちょっと怖い…)。フルートを吹くにはまだ早い、と言って触らせていないので余計に燃えているのかもしれないのですが…どうなるやら…
早く始めれば良いというものでもないと思うし、娘たちにしても、長く楽しんでいけるものと出会えるように…と願う母です。


今日は午後から、娘たちのひなまつりのために今年もちらし寿司を作りました。長女の初節句から作り続けて、7年目です。家族4人が揃ってちらし寿司の桶を囲み、はまぐりの潮汁をいただき、やっぱり家族の笑顔がある食卓が一番幸せだな…と感じました。私の作るちらし寿司が大好物の長女は5杯食べ、ちらし寿司の桶はきれいに空っぽになりました。
ささやかなことですが、ひなまつりのちらし寿司は、自分ができる限り、毎年作り続けていきたいと思っています。



そしていつも、娘たちや私のやりたいことを応援してくれる夫への感謝を、忘れないようにします。(何をやっていくかについては、いつも家族で相談しながらですが)

優先順位。

ようやく体調も戻ってきたので、今日は久しぶりにエレクトーンに触ったり、夜はスケジュール帳を開いてこれからの予定をじっくり見返して、4月からの生活について考えてみたりしました。



エレクトーンは、1月は幼稚園の用事が重なって1回しかレッスンに行けず、先週は久しぶりに行ける!と思ったらインフルエンザに倒れて行けず…(涙)、思うようにレッスンに行けていません…。一瞬、気持ちがくじけそうにもなりましたが、ここでやめたくはない…。久しぶりに楽譜を開いて弾いてみると、ちゃんと体が憶えていて、メロディーとコード記号だけの楽譜で即興演奏ができるようになっている!一気に残り4曲分の伴奏付けができ、メロディーフェイクも少し進みました。2月中に5曲の編曲を終えたいです。編曲が山で、そこを越えればグレード受験が現実的になりそう。
メロディーが美しくて、そこにコードがピタッとはまると、弾いていて本当に心地良い。



昨年は新しく色々なことを始め、はっと気がついたら「子育て+1」どころか、「+5」くらいになっていました。最近はそれぞれの用事が重なってしまうことも出てきて、優先順位について考えることも多くなりました。


前に、漫画家の西原理恵子さんが、
「私、元夫と一緒のときに、優先順位をつける癖をつけたんです。ベスト3以外は捨てる(笑)。疲れてくると100番目と1番目がごっちゃになって、近所の奥さんとかPTAのために子供をほったらかすとか始めちゃうから。人生の最優先事項は『子供』『仕事』『自分』。」
と語っていたのを読んで、なるほどな…と感心しました。


私の優先順位について改めて考えてみると、やっぱり1番目は「子ども」です。2番目は「家族」、3番目が「自分」かな。「家族」は、夫と子どもと自分を含めた家族4人で過ごすことのすべて。「自分」の中には、自分が大切だと思うことが色々と入りそう…(1人でゆっくり過ごす時間とか音楽とか絵本とか)。「仕事」は、今はあくまでもベスト3を崩さないように…というくらい。


子どもたちへの絵本読みや、育児ネットのお手伝いは、長い目でできるだけ続けていきたいと思っていること。4月からは無理せず長く続けられるペースで関わっていきたいです。



それから来年度は、小学校の役員をすることにほぼ決まりました。うちの子どもが通う小学校は、保護者の役員がポイント制になっていて、1人の子どもにつき2ポイント分の役を必ずやらなければならない、という決まりになっています…。我が家は子ども2人なので、4ポイント分。もちろん、夫が何か役員をやってくれたら私は何もやらなくて良いのですが、それは難しいので私が4ポイント分何かやらなくてはなりません。
一緒に役員をやろうと言ってくれた友達がいて、とても頼りになる人だし、もう1人一緒にやると言ってくれた人もとても信頼できる素敵な人なので、メンバーに恵まれた時にやろうと決めました。夫も、応援する、ぜひやるべきだと言ってくれました。いつかは何かやらなければいけない訳だし、それならばネガティブな気持ちで捉えるのではなく、前向きにこちらから向かっていった方が気持ちがいいと思ったのです。一緒にやってくれる2人もそういう気持ちを持っていると感じたので、それも背中を押しました。5月からのペースがどうなるかまだ分かりませんが、2年間頑張ろうと思っています。だけど、役員の仕事は、優先順位では5番目くらいで。



そんな訳で、市の図書館での「子どもに語るおはなし(ストーリーテリング)講座」も受けたいと、ここ数年来思っているのですが、これは役員の仕事が落ち着いてからに回そうかな…。



色々と自分の中を整理しつつ、やるべきことを大切にやっていきたいと思います。