伸びられるゆとり

今週、エレクトーンのレッスンに行って、なんとか編曲した5曲を弾き終えたら、レッスンの最後に先生から「グレード6級の申し込みをしていいですよ」と言われました。まだもう少しかかるだろうな…と思っていたのですが、あっけなく。今月中に申し込みをすると、5月初旬の受験です。
先生に「頑張って練習します…」と言ったら、「十分頑張ってるので大丈夫です!(^_^)」と言われました。そうか…。



私はピアノの個人レッスンを小2から高3まで受けて、特に小3から高3までは結構厳しい先生に習っていたのですが、レッスンの方は毎回先生に「しっかりやりなさい」と言われながらも、全然やる気が出なくてあんまり伸びませんでした。レッスンに行くのは毎回気が重くて楽しくなかったし、基礎練習も好きじゃなかったけれど、ただやめてしまうのはなんとなく悔しくて、それだけで続けていました。
その一方で、小学校や中学校では合唱などの伴奏をずっと弾かせてもらっていました。それは先生にレッスンでみてもらうわけではなくて、自分1人で好きなように練習すればよかったので、のびのび弾けて、しかも授業や文化祭や卒業式という発表の場もあったので楽しくて(さらにそこで褒められたりするとまた調子に乗って嬉しくて)、レッスンよりもそういう自分ののびのびした時間の中で、幸いに周りから色々な経験の機会も与えてもらって、だんだんピアノが好きになり、弾けるようになっていった気がします。
なんとなく思うのは、普通の子どもはたぶん、厳しい指導でピアノが好きになる訳ではない…ということです。



でも、小3から高3までピアノを習った厳しい先生には、小3から小6までヤマハのグループレッスンでもお世話になり、そこではとても貴重な経験をたくさんさせてもらいました。「新世界」や「『軽騎兵』序曲」などのクラシックの曲を、ピアノやエレクトーンや打楽器などのアンサンブルで演奏したり(先生が編曲されていました)、JOC(ジュニアオリジナルコンサート)の大会に何度も出させてもらったり、ドラムやシンセサイザーを習ったり…。グループレッスンでも先生は厳しかったけれど、それは先生自身が私たちや音楽に対して妥協しない厳しさで、厳しい中にもいつも楽しさがありました。グループのメンバーは、みんなそれぞれにピアノやエレクトーンやドラムが上手くて、それぞれの得意な楽器やパートを生かしながら、色々な曲を合わせていくのがすごく楽しかった。
(私はグループの6人の中で1人だけ学年が1つ下だったのですが、高校に入学したら1つ上の学年にグループのうちの3人がいて、みんな音楽を続けていて、高校でも吹奏楽部や合唱部や学校祭のバンドなどで活躍していたので、すごいなあと思いました)


たぶん、楽しい、ということと、伸びしろ的な自由に動き回れるゆとりがあることが、子どもにも大人にも大切なんじゃないか…と、自分が楽器を再開したり、娘たちが何かを習うようになったりしたこの頃、思います。



今、自分ががむしゃらに上達したいと思って鍵盤に向かえたり(今さらかもしれませんが…(^^ゞ)、フルートを楽しく吹けていたりするのは、先生や家族(主に夫)が、決して押し付けることなく距離を置いて見守っていてくれるからじゃないか…と思います。



娘たちも安心してのびのび好きなことができるように…、ただ見守れる親になれたら…と思います。



そうそうそれから、近大で落とした1科目だけ夏に奈良教育大で受講した司書教諭、無事に通って、先日、文部科学省から修了証書が届きました。司書資格も含めると、思い立ってからかれこれ4年。こちらも、家族や保育園や幼稚園の先生方など、たくさんの人の励ましや支えがあって取れたことを、ずっと忘れずにいたいと思います。
今後、色々な場面で、学んだことを生かしていきたいです。