おばあちゃん、ありがとう。

祖母が亡くなった日から、今日で10日経ちます。


私が祖母に会いに行った4日後の明け方、90歳で亡くなりました。
亡くなる3日前には、施設の方の協力を得て、少しだけ家に帰ることができました。10分ほどの滞在だったようですが、家に帰ってきたことは分かったようで、仏壇に手を合わせ、庭も眺めていたと父が言っていました。2日前には、大好きなお風呂にも入れてもらえたそう。
特養での看取りなので、心電図も何も付けず、最期の3時間ほどは、私の両親と叔母夫婦といとこが祖母の周りを囲んで、祖母の呼吸を静かに見守る感じだったようです。最期はすっとまぶたを閉じて、眠るような感じだった、と、立ち合った両親や叔母から聞きました。



亡くなった日、娘たちを連れて実家に帰ると、祖母も帰ってきていました。
その夜は、寝ていないうちの両親に代わって、私のいとこ姉妹が祖母と一緒に寝てくれました。そこに潜り込んだうちの娘たちと4人で、祖母のそばでトランプ大会…。。にぎやかな夜になり、祖母も嬉しかったんじゃないかな…


通夜の日の午前中は、納棺に立ち合いました。両親が、葬儀屋さんとの打ち合わせで忙しそうにしていたので、私が熱いお湯を用意したり、様子をずっと見ていました。納棺師の方の仕事ぶりを初めて拝見しましたが、すごいなあと感心しました。
安らかな顔でしたが、入れ歯を入れた口が少しだけ開いていたので、入れ歯を外して、口の中に綿を沢山詰めて、口の周りをゆっくり温めてそっと口を閉じると、祖母は本当にきれいな顔になり、見る人がみんな感心するほどでした。
口の中に綿を詰めていく時には、私に見えないように布でそっと隠してされる配慮にも、感心しました。


私と妹で、祖母の手や足を拭き、最後に靴下を履かせてあげました。娘たちは顔を拭かせてもらいました。そして、自然な感じのメイクもしてもらい、母や叔母がショールやスカーフなどを着せると、祖母は今にも起き上がって散歩に出かけそうに見えました。あんまり綺麗だったので、写真を撮っておきたいな…と思わず弟と私がつぶやくと、納棺師の方が、大丈夫ですよ、皆さんよく撮られますよ、と言われたので、私は1枚だけ撮らせてもらいました(弟は何枚か。また頂こう)。


元気だった頃の祖母は、毎日のように田んぼや畑や庭に出ていたので、顔も手もいつも日焼けしていて真っ黒だったし、美容とかきれいだとか、そういう言葉にはあまり縁のない人だったように思います。だけど、祖母の死に顔を、みんながきれいだ、きれいだ、とあんまり感心して褒めるので、生きているうちにもっと言ってほしかったかなあ、言ってあげたら良かったよね…なんて、みんなで笑いながら話しました。でも、死に顔がこんなにもきれいだなんて…私は祖母を羨ましく思いました。


それから、祖母が日課のように毎日毎日眺めていた、私が贈ったアルバムなどから、良い写真を選んで、みんなで祖母の周りに並べて入れました。祖母が淋しくないように。


通夜の会場に行くと、式の担当が中高の同級生で、司会が高校時代の部活の後輩でした。2人とも、「困ったこととか分からないことがあったら、遠慮なく言って」と言ってくれました。2人とも本当に良くしてくれたので、有難かったです。こういうのもご縁だなあ…と思いました。


翌朝、また葬儀の会場に行くと、司会をしてくれる後輩が、高校時代の吹奏楽部のCD(吹奏楽コンクールの東海大会に出た時の)を用意してきていて、「葬儀の前のナレーションのBGMに、先輩のフルートのソロのところを使わせて下さい!」と。…こんなところでまさか自分のフルートが出てくるとは思いませんでした…。。
…でも、思い返せば祖母に私のフルート、ちゃんと聴いてもらったことなかったな…(家では時々練習していただけで、演奏会とかには来てもらったことないなあ…)。
「海鳴り」という曲で、海の上を渡る風の音みたいなもの悲しいフルートのソロなのですが…少しだけ流れました。


葬儀は1時間ほどの読経が続き、子どもには大変だったかと思いますが、娘たち頑張りました。最後に祖母の柩にお花をたくさん入れてあげる時には、長女が号泣していました。あんなに泣くんだなあ…とちょっと驚きました。祖母は花を育てることも大好きだったから…こんなにも花に囲まれて良かった、とも思いました。


少し迷ったけれど、ちゃんと見た方がいい、と母が言うので、娘たちも火葬と収骨に立ち合いました。


死の姿を、私たちに見せてくれた祖母に、感謝です。
おばあちゃん、すごかったです。90年間、本当にお疲れ様。そしてありがとう。祖母には、ただただ、ありがとう、という気持ちばかりが沸いてきました。失敗もいっぱいしていたけれど、いつも笑ってたなあ…とか。戦後に農家に嫁ぎ、大変な苦労もあったようです。でも、大正生まれの、田舎の農家の人らしい、大らかでのんびりした温かい人でした。


老衰死、平穏死、自然死、とも言える、祖母の死に接して、以前よりも死というものが、それほど怖くなくなりました。
看取り介護の段階に入ったとき、脱水症状を防ぐ点滴も、うまく入らなくて漏れてくるような状態だったので、本当はこの点滴もやめた方が、一番楽に亡くなられますよ、と施設の方が言われたそうです。でも、父はそれが思いきれなくて、点滴の量を減らして、亡くなる日の午前中まで点滴をしていました。(おかげで少し祖母の顔がむくみ、死に顔がみずみずしい感じになってきれいだったようですが…(笑))
90歳を超えて、口から食べられなくなり、水分もだんだんとれなくなり、静かに死に向かっている超高齢者は、もう栄養も水分も、それほど必要としないそうです。植物が枯れていくように、自然な営みとして、人間にも自然な死が訪れるのだということを、祖母の死を通して、私は初めて知りました。また、そういう死を私たちに見せてくれた祖母に、今まで本当にありがとう、という気持ちとは違った気持ちで、深く感謝しています。


祖母が亡くなる少し前から、こんな本を読み始めていました。

「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

「平穏死」という選択 (幻冬舎ルネッサンス新書 い-5-1)

「平穏死」という選択 (幻冬舎ルネッサンス新書 い-5-1)

それから、最近はこんな本を読んでいます。(↓友達が貸してくれました。自分でも買おうかと思っています)
大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

高齢化社会を迎え、介護や医療の問題と私たちも向き合っていく中で、家族や自分自身にも深く関わる問題として、どういう死を迎えたいか、よく考えていかなければならないと思っています。どういう死を迎えたいのか…は、どう生きるのか、とも同義だと思います。


まだ、うまく思いがまとまりませんが…ただただ、おばあちゃん、今まで本当にありがとう。私たちの子守もしてくれて、ありがとう。幼かった私たちと一緒に過ごしてくれて、ありがとう。おばあちゃんの苺ジュースの味は、忘れません。どうか安らかに眠って下さい。