祖母に会いに。

帰省すると、娘たちを連れて、特養にいる祖母に会いに行くようにしています。
自営業で、両親が共働きだったので(でも同じ家の中で仕事してくれていたのは有難かったけれど(*^_^*))、保育園の送り迎えや、遠足や、保育園や小学校から帰って来てから過ごす時間は、いつも祖母と一緒でした。祖母は畑を作っていたので、田んぼや畑についていったり(畑や畦道で土いじりをしたりして遊んでいた)、お寺についていったり、祖母が近所のおばあちゃんたちと話す横でぶらぶらと待っていたり…祖母は私を急がせる、ということがなかった気がします。祖母に叱られた記憶もありません。
自分が子どもを産み、子どもたちと過ごすようになって初めて、これは全部祖母がしてくれていたことだ…と気づき、感謝の気持ちが沸いてきました。。
幼い頃を祖母と一緒に過ごしたこと、祖母が幼い自分といつも一緒にいてくれたことは、すごく大切なことだった、とようやく心の底から感じるようになりました。
そのことに、ちゃんと気づけたのは、3年前に祖母が骨折して歩けなくなってからなのだけれど…


祖母は特養に入り、実家に帰ればいつもいた祖母の姿が、家の中から消えました。祖母の部屋は片付けられ、そこに私たちが泊まるようになりました。


私も、年に3〜4回くらいしか帰省できなくなり、私にできることは、帰省したら娘たちを連れて、祖母に会いに行くことくらい。
7月末に会いに行った時には、歩けなくて車椅子の生活だけれども、口は達者で、変わらずに元気で、長女に「しっかり勉強しんさいよ」とか言っていました。会いに行くと、いつも娘たちと一緒に写真を撮ってあげて、後日写真をアルバムにしたりして持っていくと、祖母はそのアルバムを自分の枕元に置いて、毎日毎日眺めていたようです。写真は、少しずつ増えていっていました。
会う時には、いつまでこうして会えるのかな…とか、次に会えるのかな…という思いがいつもあり、別れる時には、「また来るからね」と言って、手をしっかり握るようにしていました。


8月の初めに帰省した時には、7月末に会いに行ったばかりだし、元気だったし…と思い、慌ただしい日程だったこともあって、会いに行きませんでした。帰省して特養の祖母に会いに行かなかったのは、その時だけ。会いに行ける時には、ちゃんと会いに行っておかなければならなかった、と今、思います。


9月、10月と元気だった祖母でしたが、11月に入ってあまりしゃべらなくなり…食事をあまり食べなくなり…様子がおかしいということで11月末に1週間ほど検査入院しましたが、どこも悪いところはなく…入院したら逆に床ずれができてしまったり、口の中が不衛生になってしまったり…退院して特養に戻ってきたら、まったく食事を食べなくなってしまいました。
施設でできるのは、脱水症状を防ぐ点滴だけ。


胃ろうや栄養のチューブ等の選択も示されましたが(選択を示しながら、病院の先生も施設の方も決してそれを積極的に勧めることはありませんでした)、熱もなく、どこも痛がることもなく、穏やかにとろとろと眠っていくような様子の祖母を見ていて、そして、元気だった頃の祖母が言っていたことなどを思ったりして、家族は、このまま静かに、できるだけ穏やかに、祖母を看取っていくことに決めました。


木曜日に夫が名古屋から帰ってきてくれたので、金曜日は家と子どもたちを夫に頼んで、次女を幼稚園に送ってから、私だけ岐阜へ帰りました。夏以来の帰省。
夕方、母と義妹と姪っ子と一緒に祖母に会いに行きました。祖母は、私が来たことを分かってくれました。話はできないけれど、ちゃんとこっちを見て、うんうんとうなづいてくれました。
冬休みに入ったらすぐ、娘たちと一緒に帰省する予定なので、それも伝えると、またうんうん、とうなづいていました。長女が書いた手紙を見せると、目で追って読んでいる様子で、なかなか手紙から目を離しませんでした。
祖母の手もしっかり握って、1時間ほどいて、だんだん眠そうになってきた様子の祖母を、大きな車椅子からベッドにうつしてもらうのを見届けて、「おやすみ」と言って、部屋を出てきました。



帰省する前、介護職をしている友人にメールで相談すると、こういう本を薦められました。

「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

早速注文しました。読んでみようと思います。



夜、妹が帰ってきたので、久しぶりに2人でパスタを食べに行きました。私はワインも少し飲んで、本当に久しぶりに2人だけでゆっくりたくさんの話をしました。
それから2人で近所の温泉に行って、お湯につかりながら、また色々話しました。
30過ぎると、女きょうだいはまたいいものだな〜…と思いつつ。妹の幸せも願いつつ。


翌朝早く、バスとアーバンライナーを乗り継いで、昼前には奈良に帰ってきました。
無事に、依頼されていた保育園のクリスマス会での大型紙芝居も終えられました。頼もしくて温かい仲間に、また感謝した時間になりました。



今日の午後、両親が、施設の方と話し合いの場をもち、いくつかの書類にサインをして、祖母は看取り介護の段階へうつることになりました。祖母をどんなふうに見送るか…家族とともにそういうことを考える、残された時間です。
私は、離れているから、毎日行くことはもうできないけれど、昨日、祖母にちゃんと会えて、もう悔いはありません。今はただ、祖母ができるだけ穏やかに、静かに、最期のときを過ごせるようにと、願うのはそのことだけです。


冬休みまであと2週間。もう一度祖母に会えるだろうか。
そんなことを思いながら、年末に向かっています。

ずーっと ずっと だいすきだよ (児童図書館・絵本の部屋)

ずーっと ずっと だいすきだよ (児童図書館・絵本の部屋)

そして、この絵本を、また思い出しています。