美唄〜旭川

◆8月21日(日) 晴れ時々くもり


奈良へ帰る前日。レンタカーを借りて、旭川まで足を延ばしました。



北海道に来てからドライバーはほとんど私…。この日初めて走った道央道は、本当に走りやすくて気持ちが良かったです。
寄り道せずに旭山動物園まで向かう予定でしたが、途中で「美唄」の文字を見たら、やはり「アルテピアッツァ美唄」に寄りたくなってきました。以前、弟に「良い場所だよ」と教えてもらって一度だけ行ったことがあり、今も心に残っている場所です。今も変わらないのか…どうなっているのか…


前に来た時には、札幌から青春18きっぷを使った鈍行で、美唄駅からバスで行った記憶。「アルテピアッツア美唄」は、美唄ICで下りて川沿いに少しだけ走った場所にありました。



カフェができていました。

黒大理石のテーブルが気持ち良い感触。



水出しアイスコーヒーと、手作りの桃のタルト。
娘たちはソフトクリームを分け合いました。







トンボやチョウの楽園のような草原でした。












彫刻と緑と空。夢みたいな場所です。





次女は、「はっぱがさくっさくっとして、きもちいい〜」と、ずっと裸足で草の上をぴょんぴょんはねて歩き回っていました。









↑ 体育館の中。












ずうっとずうっと、いつまでもいたい楽園のような場所だと思いました。夫は、「今まで行った中で一番かもしれん…」と言っていました。



子どもたちものびのび遊び回っていたし…ほんとうに、またいつの日か訪れることができたら…と願います。
今回、娘たちを連れて行けてよかった…と思います。幸せな時間でした。


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◆「アルテピアッツァ美唄」とは (アルテピアッツァ美唄HPより)


ここは、1人の彫刻家・安田侃(かん)が今なお創り続ける、大自然と彫刻とが相響する野外彫刻公園である。



美唄市は、かつて北海道有数の炭鉱都市として栄えた。1973年に最後の炭鉱の灯が消え、炭鉱住宅はひっそりと静かになり、子どものいなくなった学校は廃校となった。それから時が過ぎ、イタリアで創作活動を続ける美唄出身の安田が、日本でアトリエを探していた際、1981年に廃校となった旧栄小学校に出合う。その朽ちかけた木造校舎には、子どもたちの懐かしい記憶がそのままに残っていた。そして、校舎の一部に併設されていた小さな幼稚園に通う子どもの姿が、彼の心をとらえた。時代に翻弄された歴史を知らず、無邪気に遊ぶ園児たちを見て、彼は思う。



「この子どもたちが、心をひろげられる広場をつくろう」。



それがアルテピアッツァ美唄誕生のきっかけとなった。



その後、彼と、彼の思いに共感した多くの人々の尽力により、1992年に廃校跡地を中心に広大な敷地をもつ世界でも希有な彫刻公園が開園した。木々の中に40点あまりの作品が配置され、それぞれが自然と溶け合いながら豊かな空間を創り出した。展示空間としてよみがえった校舎や体育館では、さまざまな展覧会やコンサートなども開かれるようになった。中央の芝生の広場では、夏は水遊び、冬は雪遊びにやって来る大勢の子どもが走り回る。かつて、ここに通っていた子どもたちの記憶と、現在の子どもたちの明るい歓声が、混じり合ってこだましている。



訪れる人々は、初めて来た人でもどこか懐かしい気持ちがするという。



安田はいう。「アルテピアッツァは幼稚園でもあり、彫刻美術館でもあり、芸術文化交流広場でも、公園でもあります。誰もが素に戻れる空間、喜びも哀しみも全てを内包した、自分自身と向き合える空間を創ろうと欲張ってきました。この移り行く時代の多様さのなかで、次世代に大切なものをつないで行く試みは、人の心や思いによってのみ紡がれます」。



アルテピアッツァ美唄は、自然と人と芸術の新しいあり方を模索し、提案し続け、訪れる人々に自分の心を深く見つめる時間と空間を提供する。それはまさに、芸術の本質に通じている。