沖縄(1日目)


↑ 4月2日に、うちの裏で撮った桜。五分咲きくらいになっていました。満開の桜ももちろん美しいですが、つぼみと桜が混じり合っている頃も好きです。



夫が勤続10年で1週間の休みを貰えたので、沖縄に行ってきました。夫も私も、初めての沖縄でした(娘たちはもちろん)。震災で自粛の雰囲気の中、私も一時は迷いましたが、昨年から計画していた旅行でもあり、夫もそれを励みに頑張っていたので、行くことにしました。


学生時代、周りの友人が何人も西表島に行っていて(西表島YHでヘルパーしたり、ワンゲル部だったり…)、その話を何度も聞かせてもらい、写真も見せてもらい、いいなあ…と沖縄の離島に思いを馳せていました。大学の卒業式後の春休みに石垣島行きの飛行機のチケットを取っていたのですが、急に就職が決まり(それまで決まってなかった…)、すぐに出勤することになったのでキャンセルして…以来、訪れる機会のなかった沖縄。


そして、学生時代に影響を受けた友人が沖縄出身で…沖縄を深く愛し、反戦活動に身を投じ、集会に参加し、基地に座り込む彼女の話を聞いていたこともあり、いつか行かなければならない場所…という思いもありました。


でも、意外にも自分にとっての初めての沖縄は家族旅行で、しかもリゾートで…こんな風に楽しんでしまっていい場所なのだろうか…という思いもありながら。。



出発の朝、真っ白い顔の京子…熱はないものの嫌な予感が〜。案の定、伊丹で2回吐き、どうなるかと思いましたが、吐いた後はスッキリしたらしくなんとか出発・・・。

飛行機初めての春奈は、終始大喜びでした。


京子は那覇空港に着くと元気になり、かけうどんやもずくを「おいしい!おいしい!」とせっせと食べていました。

↑ 私は沖縄そば(夫はソーキそば)。


遅めの昼食を食べ終わるともう14時半。名護のホテルまでは1〜2時間かかるし、首里城国際通りか…と迷っていると、京子が空港に置いてあったパンフレットで、キャンドルやシーサー作り体験のお店を見つけ、「キャンドル作りたい!」。


…予約していたレンタカーを借り、国際通りへ。「まちぐゎー」と呼ばれる商店街の奥にある、京子希望のお店に行きました。

京子だけ体験の予定が、春奈も「はるちゃんも!」と言い出し、結局2人とも。。

↑ 春奈、真剣です。春奈には無理なんじゃないかと思いましたが、なかなか豪快にいい感じに作れていました。



↑ ちゃんとガラス細工のジンベエザメも浮かせられましたよ!大得意!


その後、まちぐゎーの中を、色々なお店を覗きながらぶらぶら。子どもたちも私たちも、期待していた以上に楽しめた場所でした。子どもたちは、細いトンネルのような商店街の中を、細々した珍しいおもちゃや食べものや雑貨を見て歩くのがすごく楽しかったようです。私も珍しい沖縄の食べものやガラスや焼きものや紅型…ゆるい沖縄の雰囲気を味わえて楽しかった。

↑ この笛、娘たちが気に入って、買いました…。



↑ 国際通りにて。エイサーの迫力に釘付けの娘たち。エイサー、格好いいです!



もっともっと色々見て歩きたかったのですが、あっという間に17時。
海沿いをドライブしたかったので、国道58号線を通って名護に向かいました。



那覇空港を出たとたんに米軍の施設が目に入り、名護に向かう58号線沿いにもずっとフェンスが続きました。嘉手納基地、普天間基地、弾薬庫地区…と、延々と基地が続き、その隙間を縫って人々が暮らしているような地区。この島が戦場にならなかったら…基地がなかったら…歴史が違っていたら…。一方で沖縄が基地を背負っているから成り立っている今の日本の現実…沖縄の人に重い重い負担を強いているのだということを感じさせられました。何が正しいのか、何が正しくないのか…ただ、これらの広大な施設や物の目的を思うと、ぞくっとしました。



今回は、戦跡を訪ねることはできませんでした。
でも、また子どもたちが大きくなったら、少しずつ話し合ったり、訪ねたりしていかなければならないと思います。一緒に考えていけるようになれたら…と思います。


基地のフェンスを眺めながらのドライブの間、夫と沖縄の歴史や色々なことを話し、その間子どもたちは後部座席でずっと爆睡していて、ホテルに着いたら起きました。。




この日は、ホテル内のレストランで晩ごはん。ビュッフェでしたが、子どもたちは無料でした。復活した京子、もずくをたくさん食べていました。



沖縄1日目終わり。おやすみなさい。