東京の友

tamago-ayako2010-08-30

先々週の日曜日から、夫が仕事でNYへ行ってしまったため(昨日くらいからオースティンに移動)、3人で頑張ってます。


…と言っても、先週水曜日からは東京の友人が泊まりに来てくれて、金曜日には東京に帰る友人も一緒に岐阜羽島までドライブ、そして私たちは岐阜の実家に帰ってきました。


20代の頃、京都で3年間一緒に暮らした友人。
1年ほど会っていなくて、そろそろ会いたい会いたい(私が東京に遊びに行きたい〜!)と禁断症状になっていたら、夫が「そんなら、自分がおらへん間に泊まりに来てもらったらええやん」と。


3日間、楽しかった…。
前に彼女に会ったのは、京子が「おかあさんといっしょ」のスタジオ収録に参加するために、京子と2人で上京した時(昨年9月)だったので、ゆっくり話すのは本当に久しぶりでした。それでも何ヶ月かに1回は、禁断症状で長電話したりもしていたんだけど…でもこういうふうに、一緒に住んでいた時みたいに、1日中とにかく延々としゃべり続けている感じは、懐かしすぎました。


…夜は子どもたちが寝てから、友人がチャイを作ってくれたりして、友人が焼いてきてくれたケーキでお茶。レモンのケーキと、チョコレートにこしあんが入ったケーキ。結局、二晩ともお茶を飲みながら止まることなく語り続け、気づいたら朝の5時になっていました…(バカじゃん。。)。


も〜…あらゆることを存分に話しました。思い出も、家族のことも、お互いの生活や友人のことも、これからのことも…。
彼女と一緒に住んでいたのは、もう10年以上も前なのですが、話していると、どうでもいいような細かい色んなことをお互いに憶えていたりして、そんなこと自分が憶えていたんだとそれがまた驚きだったり…記憶って何なんだろう…不思議だな…と思いました。


そして、こんなふうに自分の気持ちを素直に話せる彼女がいてくれて、本当によかったと思いました。


娘たちも友人にすっかりなつき、友人はすっかりばあや状態…。ある時は保育士さんのように、またある時は給食のおばちゃんのようにも見えました。


1日目の夕飯は、友人と私の合作でお子様ランチを作り(なんと友人はお子様ランチに立てるための旗まで作ってきてくれていました…写真は後日アップ)、友人作のオムライスが美味しかった〜(涙)。娘たちに「まだ〜!?」と言われながら、「ハイハイただいま…」と友人が出来上がったオムライスをお皿にのせるそばから、私がサイドメニューを盛り付ける…と、なんか私たち、配膳のおばちゃんみたいじゃないか…?


2日目の夕飯は、私作のカレー。その間に、友人はミシンで京子の(いずれ春奈の)スカートを作ってくれました。日暮里(だったっけ?)で探してきてくれた布が可愛くて…。本当に本当にありがとう。


そして岐阜に帰る朝には、私が荷物の準備をしている間に、友人「やっぱり春ちゃんにも何か作ってあげたいな〜」と、更に春奈のポシェットをミシンでダダダ…と。すごすぎる…ありがとう…。もちろん娘たち大喜びで、大事に岐阜まで持ってきました。


岐阜までのドライブは、更に友人と語り合い、懐かしいスピッツ(一緒に住んでいた古い家でよく聴いていたアルバム)を聴きながらの楽しい旅になりました。
奈良〜京都の景色も、京都〜滋賀の景色も、そして岐阜の景色も、名神のこのルートを初めて通ると言う友人は新鮮に喜んでくれて、私も嬉しかったし楽しかった。


そして、岐阜羽島駅から程近い、弟夫婦の家へ。友人が義妹に会いたいと言うので、お邪魔しました。義妹の感覚も、友人の感覚も、私はすごく共感するし、素敵だな〜…こんなふうになれたらなあ…といつも思います。友人、弟夫婦の家に、とてもとても喜んでいました。こんな機会、なかなかないし…よかった。弟&義妹ちゃん、ほんとにありがとうね。


岐阜羽島行きの電車が出ている、小さな駅まで友人を送りました。
なんか、彼女にしてもらうばかり、いいものをもらうばかりの3日間だったな〜…結局たいしたおもてなしもできず…申し訳ない。。だけど、ほんと楽しかった。ありがとう。


今度は、東京に会いに行くね。そしてまたお茶を飲みながら、夜を徹して話すんだろうな〜…(話したい!)。その日を楽しみにしています。
(なんか彼女へのお礼の手紙みたいになりました…)