岐阜のお盆

tamago-ayako2010-08-16

夫、無事にチューリッヒから帰ってきました。地球のあちこちにばらけていた家族が、また無事に1つ屋根の下に…ほっとしています。。


夫がいない間に、春奈と2人で京子を迎えがてら岐阜に帰省していました。4月のお祭り以来、久しぶりです。


母は、半年前に生死の境をさまよう大病をしたとは思えない動き方…。車も運転するし(高速にも。。)、あちこち買い物にも走るし、お盆の準備もし、朝夕には仏様のお膳を作り…、母に圧倒され、私はすっかりぐうたらしてしまいました…。それでも、やっぱり心配は心配なのですが、、次に帰省した時には様子をみてやっぱり何か手伝える娘にならないとな〜…とも思います。


京子は、1人でじいちゃんばあちゃんちを満喫しきっていました。両親がいなくてもまったく淋しがる様子なく、逆にのびのびと。
このところ、家では食欲がなかったのですが、岐阜では食べる食べる…。環境が変わると、こんなにも食べるようになるものなんだなあ…と。楽しくてしょうがない様子で食べている京子を見ていて、ちょっと考えさせられました。(春奈はどこででもよく食べてます。。)


父母と娘たちと一緒に近所のお寺へお墓参りに行ったり(京子はお供えの花作りも手伝ったらしい)、娘たちを連れて老健にいる祖母に会いに行ったり、地元の友人たちに会ったり、花火も2回見て…地元のお盆らしいお盆を過ごしました。


お墓参りをしながら、早くに亡くなった叔父と自分が同じ歳になることを思ったり、フィリピンで戦死した祖父の弟のことを考えたり…お盆には色々なことを思い起こします。

これからもやっぱり、お盆にはできるだけ帰るようにしたいなと思いました。仏様の世話をする母の様子を見ていても、そう思いました。お供えには、京子が作ったナスの馬も並んでいました。



15日には、弟夫婦の家へ。
木曽川のそばにある弟夫婦の家は、もともと母の実家で、小さい頃からこの家でお盆に見る花火を私は楽しみにしてきました。祖母が亡くなってこの家を訪れることもなくなっていたけれど、弟夫婦が暮らすようになって、またいい家になって…久しぶりにここの花火を見たくて、弟夫婦に頼んで遊びに行かせてもらいました。



夕方、母もやってきて、娘たちと母と私で夜店に。ばあちゃんにピカピカ光るおもちゃを買ってもらい、娘たちはご満悦。


持って行った寿司折りに、義妹の手料理(筑前煮)がやたら美味しくて…。料理をつついている間に、屋根の上から落ちてくるみたいにドン!ドン!と花火が鳴りだし…玄関の前で大きな花火を見ました。やっぱり、ここの花火が、私にとっては最高です。
子連れでドタバタで弟夫婦には申し訳なかったけれど、花火はやっぱり良くて、懐かしくて楽しい夜でした。
昔とは違っていて、だんだん変わっていく寂しさと、新しい今がある楽しさ…。優しい弟夫婦の姿が、心にしみました。懲りずにまた遊びに行かせてね。



一番上の写真は、夕方、堤防にて。おばあちゃんとこんなふうに来られて、良かったね。



にぎやかで(ちょっと鬱陶しいくらいに)、だけど、家族や地元のつながりを感じられるお盆。そういうお盆が過ごせて、本当によかったと思っています。