京子、岐阜へ

tamago-ayako2010-08-11

日曜日から、京子1人で、岐阜のおばあちゃんちへ行っています。


京都駅まで京子を送って行き、岐阜から迎えに来てくれた妹と合流。
駅ビルの11Fでお昼を食べた後、京子が外の長ーーーーーいエスカレーターを見つけて、「おっきいエスカレーター、行きたい!」。

↑ ここ、京都に住んでいた頃はよく来ていたけど、京子は初めて。改めて見ると、巨大な空間で凄いなあ…と思いました。階段とエスカレーター大好きな春奈も連れて来たら、上り放題下り放題で喜ぶだろうなあ…とも(^^)。少し涼しくなったら、また家族で来るのもいいな。伊勢丹でお弁当買って、階段で食べたりしてもいいかも。



↑ 大喜びで妹について行きました。いってらっしゃ〜い。


岐阜では、おじいちゃんが絵の具で絵を描かせてくれたり、ゆでたてのとうもろこしをペロッと1本食べたり、おばあちゃんとお盆用のお墓の花を作ったり、「借りぐらしのアリエッティ」を観に行ったりと、楽しい毎日のようです。ぼちぼち迎えに行かねば…。


京子と妹の新幹線を見送った後、私は…

↑ 中村藤吉京都駅店で生茶ゼリーを食べて…(^^)、伊勢丹を久しぶりにぶらぶら歩き回って目の保養をして帰りました。


京子が岐阜に行った日の夕方の空。



京子がいない3人の生活は、楽だけどやっぱり少し淋しいかも。子どもが1人って、こんな感じだったかなあ…となんだか不思議な感覚を味わっています。
春奈も「ちょうちゃんは、どこいった〜?」と、やっぱり少し淋しそう。なんとなく手持ち無沙汰そうだし。2人がモメなくて静かだけど。



今日は、教員免許更新講習のため、奈良大へ。「奈良の文学」という講習を受けました。
「奈良の文学」と聞いて、多くの人が真っ先に連想するのは『万葉集』だと思うのですが(私も大学3回生の時に『万葉集』のゼミに入っていました)、今回講習をして下さった奈良大学の浅田先生の専攻は近代文学
今日は、正岡子規森鷗外会津八一と奈良との関わりなどについて学びました。
正岡子規が、松山の漱石の元を訪れた後、東京に戻る途中で奈良に立ち寄り、生涯でたった3日の奈良滞在の間に、今も残る百余りの句を作ったこと。その中に「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の名句があること(そして、この奈良の旅を最後に子規は病床につき、7年間の闘病生活ののちに亡くなっています)。
森鷗外が陸軍軍医総監を辞した後、晩年に帝室博物館総長(東京・京都・奈良の3つの帝室博物館を束ねる偉い人)に任じられ、毎年秋に行われる正倉院開封に立ち合うために5度奈良を訪れ、「奈良五十首」という歌集を残していること。
…などなど、焦点や切り口を変えると、またこんなにも文学は面白いのか。まだまだ知らないことがありすぎる…。文豪たちの奈良に対する憧れ、彼らの俳句や短歌に表された奈良を訪れた感動、そこまで惹きつける奈良の魅力など…充実した講義でした。もっともっと奈良を歩いてみたい、と思いました。



それにしても…子規も鷗外も、もの凄い情熱をもって生きている。子規の著作の多くは、脊椎カリエスの激痛と闘いながらの病床で書かれ、20代の頃には多い時で1日平均12〜3句を詠んだらしい(1年間に4634句作っている)。鷗外は5度の奈良滞在の間、正倉院が開く晴れの日は正倉院に籠もり、正倉院が開かない雨の日は精力的に奈良を歩き回り史跡を訪ね歩き(20km近く歩いた日もある)…5度目の奈良滞在の3カ月後に亡くなっています。小説の多くは軍医の仕事をしている間に書かれたもの。2人とも物凄い量の書物を読んでいるし学んでいるし、その知識欲たるや物凄い…。どこからそんな力が湧いてくるのか、いったい何が彼らをそこまで衝き動かしたんだろうか…。
講義をして下さった浅田先生も凄かった。「奈良が大好きなんです」と生き生きと語られる姿に、惹きつけられた講義でした。もっと本を読みたくなりました。子規や鷗外の著作を、図書館で借りて読み返してみようと思います。



明日から夫は仕事でチューリヒ。服装はビジネス・カジュアルとのことで、服装にまったく関心がない夫の準備が一番心配で、多少手伝いました。でも、仕事とはいえ、なんかいいところみたいで、羨ましいです。どうか気をつけて…。