龍馬の足跡をたどって

一昨日は、京都の西院まで、近大の科目終末試験を受けに行ってきました。


午前中1科目だけの受験だったので、11時20分に終了。時間いっぱい、ない頭を絞って書けるだけ書きました…「可」でもいいから通っていてほしい〜…。結果通知は1ヶ月後。


試験終了後、ぶらぶらと阪急の西院駅まで歩き…目にとまったモスでお昼を食べ(西院駅前のモス、座席がゆったりしててよかった)、何年ぶりかの阪急に乗って四条へ。京都へは時々来ているけれど、四条河原町に来たのは5年ぶりくらい。
前に来た時は、5か月の京子がお腹にいました。


京都に住んでいた頃は、四条河原町が生活圏でした。五条と七条の間に住んでいたので、自転車で、歩いて、いつも買い物に来ました。高島屋木屋町の店でアルバイトもしていたし…懐かしすぎる場所。


高島屋の地下の「重兵衛」というお寿司屋さんでも、サークルの先輩の紹介で一時期バイトをしたことがあるのですが…ちょっと覗いてみると、女子大生っぽい女の子がいて…つながりが続いているんだとしたら、私と同じ大学の後輩なんだろうか…(クラブか寮の…?)と、思ってしまいました。重兵衛の「おぼろ巻」が並んでいて、あの味が懐かしくて、思わず買おうかと思ったりもしましたが、なんだか踏み出せずに立ち去ってしまいました。


高島屋をいまだにまぶしく感じる自分は、結局10年前とあんまり変わっていないんじゃないかと思ったり…(予想では、もっとフフンッて買い物ができるようなマダムになってるんじゃないか…と思ってた)。10年前と違うのは、いくらか働いて、2回出産して、家族を持ったこと。それによって、変わったんだろうか、どうなんだろうか…。


さて、今回私が久しぶりに四条に来たかったのは、高島屋が目的ではなく…

↑ まず、四条河原町を上がった東側にある「中岡慎太郎寓居之地」。今は「象屋」というあぶらとり紙屋さんになっていました。それから、河原町通を西側に渡って蛸薬師通の少し南にあるのが…

↑ 「坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地」。坂本龍馬中岡慎太郎が暗殺された近江屋があった場所です。以前は確か旅行代理店だったと思うのですが、現在はサークルKになっていました。


それにしても…河原町通沿いに並ぶ店の様子がすっかり変わっていて、なんとも言えない気持ちになりました。見たことないお店だらけで、昔ながらのお店がなくなって全国的なチェーン店ができていて…栄枯盛衰です。


四条河原町を少し上がった所にあった能の謡本を置いていた書店もなくなっていたし(小さなお店だったけれど、そこに並ぶ本の品揃えとか雰囲気が好きだった)、それどころか丸善もなくなっていたし…弥次喜多は移転してしまったし…梅園は今でもあるのかな…?更に、四条河原町の阪急百貨店がこの夏に閉店とか。ビブレも閉店するらしいし、なんだか私の学生時代の四条河原町の面影がどんどんなくなっていきます。龍馬の時代の面影どころか、10年前の面影さえも消えゆく四条…。


そんな中でも、和装小物の「きねや」さんとか、古美術品や茶道具のお店など、残っているお店も何軒かあって、なんだかほっとしました。


さて、再び河原町通を渡り、蛸薬師通を東に入ります。

↑ 土佐稲荷神社。江戸時代には土佐藩邸内にあり、龍馬も訪れたと伝えられる神社です。


そして木屋町通高瀬川沿いに出ると…


↑ 「土佐藩邸跡」。旧立誠小学校(現在は廃校)の跡地になっています。

この辺りの店の雰囲気は相変わらずあやしいけれど…高瀬川が流れる風景はきれいです。


そして、土佐藩邸跡を少し南へ下りた木屋町通の東側の片隅に…

↑ 「本間精一郎遭難之地」。越後出身の尊王攘夷派の志士、本間精一郎が岡田以蔵らに殺された場所。ここで以蔵が人斬りを…。


ここまで来ると、同じ志の様子の人も何人かいて…。私と同じように石碑の写真を撮る、メガネをかけた史学科の女子大生っぽい人には同じルートで何回か会ったし、「土佐藩邸跡」の石碑の上に3人兄弟の1人を座らせて記念撮影するお父さんもいました(お母さんは3人兄弟と一緒に写真に収まっていました)。


さて、木屋町三条通方面に上がります。

↑ 「坂本龍馬寓居之跡」。これがあるのは、京都の海援隊屯所となった「酢屋」さん。

龍馬は暗殺された近江屋に移る3日前まで、ここにいたそうです。もともと材木商だった「酢屋」さんは、現在は木工芸品のお店になっています(私も何度かここで木のものを買い求めたことがあります…)。友人mayuちゃんの大学時代の研究室の先輩のご実家と聞いて以来、勝手に親しみを感じているお店です。


そして、三条通へ出て…

↑ 「池田屋騒動之址」。新撰組尊王攘夷派を襲撃した池田屋の跡です。以前はパチンコ屋さんだったと思うのですが、現在は「池田屋」という名の飲み屋さん(?)になっていました。


そして最後に…

↑ 「武市瑞山先生寓居之跡」。武市半平太が、京都にいた時に住んでいた場所。三条通から木屋町を少し上がったところ、池田屋跡の目と鼻の先にあります。「武市先生〜…」と思いながら、写真を撮ってきました。


以上、緑がまぶしい初夏の京都を、石碑の写真を撮り歩いた私でした…。


それぞれの場所は以前にもその前を幾度となく通り、知ってはいましたが、こうして改めてまとめて歩いてみると、四条から三条の間にびっくりするくらい密集しています…。目と鼻の先に思想を異にする敵と味方がいて、隠れたり探したり密会したり使命を持って走り回ったり襲われたり…。幕末の京都の、血で血を洗うような濃厚な空気と、今の時代からは想像もできないような、熱くてまっすぐな志士たちの勢いを、少し感じたような気がしました。



ひととおり歩いて満足したので、武市先生寓居跡から高瀬川を渡ったところにある「キルフェボン京都」へ。

↑ 高瀬川沿いにあるこの店のそばにいた、カモの夫婦。


以前は常に通りまで人があふれていて、なかなか入れなかったタルトの店。今はあちこちに支店ができたようで、少し緩和されたのかな。日曜日の午後でしたが、イートインスペースは満席ではあったものの、少し待ったら入れました。
前にここに来たのは、結婚式の打ち合わせで京都に来た5年前。その時も1人で入って、ナントカイチゴのタルトを頼んで…感激するほどおいしかった記憶はないのですが、この日頼んだブルーベリーのタルトは心にしみるおいしさでした…。

アールグレイのアイスティーも濃くて、よかった。

フレッシュなブルーベリーが使われていました。試験が終わった自分へのご褒美〜。そういう開放感もあったせいか、しみじみと味わって食べた、おいしいタルトとアイスティーでした。


夫とも昔ここに来たことがあるなあ…と、懐かしく思いながら。週末ごとに、2人で京都をぶらぶら歩いていた頃が懐かしい。また2人でのんびりお茶を飲んだりタルトを食べに来たりしたいなあ…とも思いました。


この後、三条の明治屋を少しぶらぶらして、三条大橋のたもとの「船はしや」さんに寄って、毎度の五色豆を買い、やっぱり船はしやさんの奥さんと顔を合わせてちょっとだけ挨拶をして、鴨川を渡って京阪三条駅から帰りました。


鴨川には床が出始めていて…いい季節です。また床にも来たいなあ…(子どもなしで)。


試験日でしたが、試験終了後に久しぶりに京都を気ままに歩けたいい日でした。めっちゃ気分転換になりました。
ああ〜…私はやっぱり、こういう地味な歴史散歩が好きなんだな〜…とつくづく…。昔のことに思いを巡らしながら、1人でブツブツと何か考えながら、史跡をたどって気ままに歩き回ることが好きだ〜…。こういうことがしたくて、どうしても京都の大学に来たかったことを、思い出しました(…道楽娘です…お父さん、お母さん、ありがとう)。


奈良で留守番の夫と娘たち、おにぎりやサンドウィッチを持って、市内の公園へピクニックに行ったそうで…充実の1日だったようです。夫よ、ありがとう。おかげで私は英気を養えて(龍馬パワーももらい)、また頑張ろうと思えました。


さあ、次は今月末の試験を目指して頑張ります。