先週末からのこと…

tamago-ayako2010-04-23

4月いっぱいは、幼稚園が午前中だけなので、毎日がバタバタと過ぎていきます。


でも、1年前に少しだけ経験した幼稚園生活とは全然違う…。春奈もしっかりしたし、用事がある時には春奈を保育園にお願いすることもできるし、京子も1年前とは打って変わって落ち着いたし…毎日楽しそうに通っています。私も、娘たちと過ごす時間が増えましたが、彩りが増えて楽しいと思えるくらい。


昨年は考えられなかったな〜…。娘たちも日々成長し、私の中でも何か変わったものがあるのかな…。何かははっきりとはわかりませんが…。


寒くて雨が続いている4月ですが、その間にも山は新緑に染まっていっています。


先週末の土日、私と京子だけ、岐阜の実家に帰省しました。京子はこの日を本当に楽しみにしていました。


京子が岐阜に行くのは、おばあちゃんが倒れて入院していた2月以来かな…。この日は、朝起きると、「あっ、今日はおばあちゃんちに行く日や!ヤッターー!」。朝ごはんを食べ終わると、さっさと自分のお気に入りのスカートに着替え(普段と大違い)、玄関で靴まで履いて1時間くらいそこで「お母さんまだ〜!」「遅すぎるー!」と私をせかしながら、スタンバイしていました。


駅まで夫と春奈が車で送ってくれて…

特急に乗り、新幹線に乗り、小さい電車に乗り…。


今回京子は、初めて自分の着替えを自分のリュックに入れてしょっていきました。


途中の駅まで義妹が迎えに来てくれて、義妹の運転する車でおじいちゃんおばあちゃんちへ。4時間。おじいちゃんもおばあちゃんも、久しぶりの京子との再会に大喜びでした。



↑ 実家の玄関に入ると、お酒だらけでした。


実家の座敷も…


実家の1階は町内のおじさんたちでいっぱいでしたが、みんなが公会堂の方に移動していなくなった隙に撮りました。


17・18日の土日、実家の地域に350年続くお祭りがあって(私が卒業した小学校の校歌にも歌われている…)、今年、実家はその祭りの当本(とうもと←祭りの当番の家)を引き受けました。年明けに母が倒れたため、一時はどうなるかと思いましたが、母も退院して幸いにもだいぶ回復し…地域や親戚の人たちの助けもあって、なんとか無事にこの日を迎えることができました。


京子は、そのお祭りの稚児役(1人)を務めることになり、私と弟はお祭りの役割の表を見るとその「付き人」とありました…。
土曜日は試楽で、日曜日が本楽(お祭りの本番)。



↑ この家が祭りの当本であることを示すのぼり。試楽の日には当本の家の庭に立てられ、本楽の日には氏神である白山神社に移されます。幼い頃、お祭りの日にこののぼりを目にすると、心が沸き立ったのを今でも憶えています。



この日は、年末に骨折して以来、病院と老健でお世話になっているひいおばあちゃんにも会いに行きました。ほんのちょっとの時間だったけれど、ひいおばあちゃんは京子に会えてとてもとても喜んでくれました。


それから、特養にいるひいおじいちゃんのところへも…。私も長いこと会いに行けていなかったのですが、今回何かちゃんと京子と2人で会っておかなければと思い…。一生懸命話しかけてみましたが、90歳になる祖父には、私のことも京子のこともどこまで分かっているのか分かっていないのか、分かりませんでした。でも、施設の方が祖父の耳元で大きな声で話しかけると、ようやくなんとなくうなづいたり、京子を目で追ったりしていました。
その昔は、祖父もこのお祭りで勇ましく神輿を担いだり世話をしたりしていました。そんな古い写真も実家に残っています。


夕方、おじいちゃんと一緒に公会堂へ向かいます。公会堂で町内の人たちとの食事に参加。


祭りの太鼓を持つおじいちゃん。太鼓もおじいちゃんも丸いです。


祭りの掛け声は「山野豊」(サンヤホウ)。乾杯する時も「サンヤーホウー!」。


食事の合間には、町内のおじさんたちや、弟たち若い世代が、交代で太鼓を叩いていました。
弟の太鼓はまだまだ危なっかしいところがある感じだったけれど、町内のおじさんの太鼓には心が熱くなり、ぞわっと鳥肌が立ちました。町内の長老からおじさんたちの世代へ、そしてその息子たちの世代へ…受け継がれていくものがあるって、いいなあと感じました。


その夜は、京子と義妹と私が川の字で寝ました。合宿みたいで楽しかったな〜。


翌朝日曜日、本楽の日。
5:50に義妹が起きて、6時に私がダラダラと起きて…父と母は、5時頃から家の前の掃除などをしていたようです。
7時前に町内の人が来て、役の人が家でごはん。
この日は、実家1階のキッチンも座敷もすべて町内の人に明け渡し、私たちは2階で朝ごはん(パンなど)を食べました。


8時頃、1階に下りてみると…


ずらりと並ぶお料理。町内のおばさんたちが作りました。昔から伝わる、肉魚を一切使わない、祭りの精進料理らしいです。


庭では、朝からお酒を飲み続ける町内の人たち…。早朝から「サンヤーホウー」の掛け声が続いていました。。


京子は義妹にべったりで…


義妹、ゆったりと京子を見守り、遊んでくれていました。ありがとう。


10時頃、いよいよ着替えます。京子は稚児の赤い着物、私は母の黒留袖。

妹(←美容師)が、京子のヘアメイク。(私は何もなし〜)



出立前のお膳を町内の人たちと囲みました。



稚児姿の京子。気持ちは「お姫様」になりきってて、すましてます。

↑ 後ろ姿はこんな感じ。この飾りも、町内のおじさんが作ってくれました。



祭りの先導役を務める町内の男の子と。小学校4年生だそうです。


この後、正午前に行列を作って出立し、お神輿のある白山神社へ向かいました。稚児役の京子は、赤い大きな傘を差してもらい、「付き人」の弟が背中におんぶ。同じく「付き人」の私は、黒留袖姿で一緒に歩くだけです。


祭りの最中の写真は、撮れませんでした〜。また後日少しUPするかもしれません。


もとは地域が上の組と下の組に別れ、神輿を組み合わせて勝負を競い、勝った方が先に水を引く権利を得たといわれる祭りだそうで、上と下の2つの神輿がぶつかり合って激しく争う「けんか祭り」とも呼ばれていました。昔は死傷者も出たそうですが、今はけんかはせず比較的穏やかです。でも、やっぱりその名残もあって、迫力がありました。


待ち時間が長かったのですが、京子はお菓子とジュースでごまかして…(義妹が荷物を持ってずっとそばについていてくれました)よく頑張ったと思います。



ひいおばあちゃんも、おばさんの車に乗せてもらって、見に来てくれました。



祭りが終わって、祭り場から神社にお神輿が帰るところ。最後、上と下の両方の組が挨拶をして、行列と神輿が走って別れるのですが、「稚児は危ないからよけとくように」と世話役のおじさんから言われていたのに、自分も走りたい弟、京子をおんぶしてダッシュしてました…。京子「ちょっと怖かったけど、面白かった」。



神輿を神輿殿に納めます。重いのでかなり大変そうでした。この神輿を1年に1回下ろすために、この祭りをしているんだなあ…と。なんだか不思議な気持ちにもなりました。



↑ 裃姿のおじいちゃんと。「裃着るなんて、生まれて初めてや」とおじいちゃん。



↑ 昨年稚児役をした女の子と。年長さんだそうです。2人とも可愛い。


京子のことを、「可愛いわねえ…。お写真撮らせて」と嬉しそうに見つめる70〜80代くらいのおばあさんがいて、聞くと「私も、あなたくらいの4つの時に、稚児をやったのよ」と。なんだかずーっとつながっている、温かいものを感じました。


350年続く祭りですが、実家の町内に当番が回ってくるのは4年に一度。その中でも当本に当たるのは、100年に1回くらいです(実家の場合、私の祖父の代もひいおじいちゃんの代もひいひいおじいちゃんの代もやっていないらしい)。しかもその時、当本の家か町内に縁のある3歳前後くらいの女の子でないと、稚児はできません。たぶん、すごい確率で京子は当たったなあ…と。


お神輿を納め、また行列をつくって、15時頃、無事実家に戻りました。(祭り場から家まで徒歩5分ほどです。)


実家ではまだまだ祭りの後の行事が続き、町内の人たちもいて、片付けなどで慌ただしいので、私と京子は着替えると奈良に帰る準備。
京子は義妹とお絵描きを始め、「ちょうちゃん、おばあちゃんちがいい。帰らない」と。「でもお母さんとは離れたくない」。お祭りの間は、ずっとお利口さんにしていたけれど、おばあちゃんちから離れるのが寂しくて、最後の最後に号泣〜。切ないなあ…。おばあちゃんと義妹が話してくれて、ようやく帰途につきました。


でも、やっぱり疲れていたせいもあるらしく(朝から長時間だったもんね…)、岐阜羽島駅まで送ってくれる妹の車の中で、すぐ寝てしまいました。
岐阜羽島駅に着くと起こしてリュックを背負わせて歩かせ、新幹線の中ではおばあちゃんちでもらったおやつやおにぎりやジュースを食べ放題…(まあいいや)、すっかりご機嫌で元気になっていました。



無事、ホームタウンの駅に戻ってきました。よかった。頑張ったね。


お祭りについては、私の母校(小学校)のHPに少しまとまったものがありました。(参考→「倉知祭のいわれ」



それから、今週は、私が今年度代表をさせていただく育児サークルの最初の回があり、その準備になんとなく追われ…バタバタしていましたが、今日無事に初回が終わりました。いい仲間に恵まれているなあ…としみじみ思っています。
副代表mocaさんの提案で、今年はサークルのブログを作ってみました。よかったら覗いてみてください(こちらです→きしゃぽっぽの会)。1年間、親子で和気あいあいと活動を楽しめるといいなあと思っています。


そんなこんなですっかり忘れていたのですが…

今日の夕方、夫がバラを1輪買って帰ってきてくれました(後ろのフリージアはちょっと前に私が買ったもの)。…結婚記念日でした、今日。
サークルのことに夢中で忘れてました…。結婚5年です。



明日は、私と夫が結婚式を挙げた京都某所の近くに、家族で行こうと思っています。