村上春樹氏が

昨日は、娘たちが20時前に寝たので、久しぶりにゆったりした夜だった。夫とあれこれ話をし、その後ネットでニュース記事を見ていたら…
村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判」(http://www.asahi.com/culture/update/0216/TKY200902160022.html)。



私は学生時代、村上春樹氏の小説に影響を受けていて、その文体や生き方や書くスタイルなど…すべてが衝撃で、いつも鞄に携え、諳んじていた。結婚して子どもを育てるようになってから、ゆっくり小説を読む時間はほとんどなくなってしまっているけれど、今も私の本棚には手放すことができない彼の作品が収まっている。
先月、村上氏がイスラエル最高の文学賞エルサレム賞を受賞したというニュースを、私は知らなかった。


村上氏が、15日に行ったエルサレム賞受賞式の記念講演の要旨は次の通りだそうだ(共同通信社の記事より)。

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一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ。


一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。


一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。


一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。


一、壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。

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村上氏の長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』には、7メートルか8メートルの高さで、街のまわりをとり囲んでいる長大な壁が出てくる。越せるのは鳥だけで、門しか出入り口がなく、外の世界へ行く自由がない。



今、イスラエルは、パレスチナ自治区の周囲に、もっと高い、それこそ鳥しか越せない壁を築いているという(パレスチナ人による自爆テロを防ぐためだという)。昨年末からのガザ攻撃では、逃げ場のない多くの子どもを巻き込んで、1300人以上の死者が出た。
パレスチナ問題は、余りに深く重く…人間の歴史と同じくらいに長く…そしてこの今も多くの血が流れ続けている。しかし、そこにただ1人、自分の筆の力だけを持って立つ村上氏を、凄い…と思う。村上氏の中の、鋼の部分に、すっかり鈍くなっている私の心が、久しぶりにガンガン叩かれた。
私は自分の家と家族を守ることだけに、今ただ一生懸命な、小さな主婦であり母親にすぎないけれども、この世界で、この精神を持ち続ける1人の人間としてあることを忘れずに生きなければならない、と思う。
何もできない、けれど、ただこの心を支持する気持ちで、ここに書く。



Youtubeに、ほんの一部だけれど村上氏の講演の様子を伝えるニュースの動画があった。(http://www.youtube.com/watch?v=4c7BmEJ9ais
もう一つ、2006年にフランツ・カフカ賞を受賞した時のスピーチの様子を伝える動画も(http://www.youtube.com/watch?v=mTkENf4ALHY)。
「One should read only those books that bite and sting. . . a book must be the axe for the frozen sea inside us.」(ぼくは、自分を咬んだり刺したりするような本だけを読むべきだと思う。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く、斧でなければならない。)



今日で春奈、満11か月。