11月29日に

tamago-ayako2008-12-02

11月29日に、義弟が京都で結婚式を挙げた。お嫁さんは、縁あって私と同じ岐阜の人。新婦の親族の方々が、私を見て、「岐阜の人や」「岐阜の人や」ととても嬉しそうに話しかけてくださった。
2人は大学の同級生で、同じ天文サークルだったそうだ。義弟夫婦ながら、好感のもてる2人です♡ 義弟は終始落ち着いていて、最後に挨拶する姿も立派すぎるくらい立派だった。こんないい子が弟で、いいお嫁さんをもらえて、本当によかったなあ…と兄嫁は思いました。
当日、京子には新郎新婦に花束を渡すという大役が!司会の人に促され、(小さ〜い声で)なんとか名前と年を言い、無事に「おめでとう」と言えた時には、会場からいっぱい拍手をもらった。
その後、披露宴会場の一番後ろに設えられたステージの上から下りて、高砂席前の新郎新婦のところまで京子がブーケを持って歩き(母が途中までエスコート)、最後は1人で歩いて行って新郎新婦に無事ブーケを手渡すと、2人が京子に可愛いらしいティアラを付けてくれた(上の写真)。いい思い出になりました。

↑ 式の前にロビーではしゃぐ京子とベビーカーの春奈。
結婚式でも披露宴でも、京子は「何が起こるんだろう…?」という感じで熱心に様子を見守っていて、いろんなことを楽しんでいる様子だった。高砂席のキャンドルが点火された時には、満足顔でうんうんうんとうなづいていた。ひいおばあちゃんはじめ、親戚の人たちにも大勢会えて、みんなに可愛がってもらった。春奈も何度か授乳したり寝たりして、おりこうさんでいてくれたので、私も落ち着いて食事ができ、助かりました。

↑ 式場のロビーからは、懐かしい比叡山や東山の山並みが見え、心が安らいだ。母校の大学の屋根や清水寺も見えた。
「…お母さんねえ、昔、ここに住んどったんやよ」「おかあしゃん、むかし、ここにすんどった?」「そうやよ。京ちゃんの『京』と同じ京都やよ」と、京子と話した。
無事に家族4人が出席してお祝いでき、ホッとした1日だった。本当におめでとう。





その同じ日、ちょうど同じ頃に、急性骨髄性白血病で闘病を続けていた知人が亡くなった。Tさんという。
私と夫の結婚式に、サイクリングをする私たち2人を描いたウェルカムボードを作ってくださった人…。私の実家の会社に長年勤め、まだ40代半ばで、2人の息子さんのお母さんでもあった。
病気がわかってから、2年4か月。2度の臍帯血輸血をし、1度は良くなっていたのだけれど、再発して2度目の輸血後はうまくいかず、もう治療法がないと言われたのが今年の春。それから、この夏を乗り越え、そしてこの日だった。
白血病の治療というのは、本当に壮絶なものだと聞く…そして、治療法がないと言われてからの日々がどんなものであったのか…Tさんの心境や体の状態がどんなものであったのか…私にはとても想像することができない。



私が京子を出産して退院してきた日、Tさんは、実家にくっついている会社から、「見せて〜!」と走って出てきて、「かわいいー!!」と大喜びしてくれた。最後に会ったのは、京子が3か月の頃だったかな…京子を連れて帰省して、会社に京子の顔を見せに行くと大喜びで抱っこしてくれた。病気がわかったのは、それから1か月ほど後のことだった。それから京子が育ってきたこの2年4か月の間ずっと、一方でTさんは白血病との闘いの日々を続けていたのだ。



周囲があきれ果てるほどのSMAPファン(特に香取慎吾の大ファン)だったTさんは、亡くなる3日前の11月26日に、名古屋で開かれるSMAPのコンサートに行く計画を立てていた。それを目標にTさんは苦しい治療を乗り越え、当日には、婦長さんを含む4人の看護師が付き添い、会場の外では女性の先生が車で待機する段取りまで整えられていたそうだ(もちろん全員分のチケットを用意して)。
しかし、当日の体調は、行くことが許されない状態で、みんなが「行けない」ということをTさんに言い出せない中、先生がTさんに「やっぱり今回は無理だ。また次回にしよう…」ということを告げた時、駄々をこねるかと思っていたTさんが、素直に「わかりました」と言って、それからは黙ってベッドに横になっていたという。



最期のとき、もう瞳孔が開き、脈がとれなくなっても、あの心拍を測る機械はなぜか反応しつづけていたそうだ。「あの子は生きたかったんやね、本当に生きたかったんやわ」と、電話で母が言っていた。



「生きたかった」
私はこのことを忘れずに、これからずっと生きていかなければならないと思う。




3年前の私たちの式当日に、Tさんが飾ってくれたウェルカムボードとお花。私の親族や友人たちと同じバスで、京都の式場まで来てセッティングしてくれた(その後は、京都観光を楽しんでいたようだ)。「お祝いに、こんなことくらいしかしてあげられんで」と言って、何か月もかけて作ってくれたトールペイントのボードは、真ん中の板を外すと、鏡としてずっと使えるようになっている。



今日は、なんて空がまぶしくていい日なんだろう…。Tさんが空にかえっていく。



嬉しい話と悲しい話だけれど、どちらもこの日に起こった、私にとって大切な出来事なので、書きました。