お盆

tamago-ayako2008-08-16

12〜14日、思い立って、私と春奈だけ岐阜に帰省していた。4か月ぶりの実家だった。(→写真は、じいちゃんばあちゃんと春奈。)
今週は夫が休みをとってくれたので、奈良で京子をみていてくれて、私は春奈を乗せて車で3時間。とにかく無事に往復できました…。
子どもが生まれてからは特に、帰省ラッシュに遭わないように、お盆と年末年始を避けて帰省している。だから、お盆の風情の実家に帰ったのは何年ぶりか…。仏壇のある座敷には、野菜や果物などのお供えが並べられ、盆提灯のあかりが涼しくともっていた。母は、朝夕にお霊供膳を作ってお供えしていた。私も静かに手を合わせられた。



13日の昼間は、木曽川のそばにある、母の実家へ。そこは、2年前に祖母が亡くなってから空き家になっていたのだが、この半年をかけて、弟が、たわんでいた床を補強し、床板や漆喰を塗りなおし、台所や居間に手を入れて、なぜか妹と一緒に住んでいる(一応2人とも仕事場が近いため…)。
建てられてから50年ほど経つ木造の家は、私にとっても小さい頃の楽しかった思い出がいっぱいだ。祖母が亡くなって、皆の足が遠のいて荒れていくのは寂しかったのだが、弟が直して生まれ変わった家は、そこかしこに懐かしさも残されていて、心が安らいだ。祖母が倒れていた玄関に、弟は花を活けていた。祖父が作ったという棚や、祖母の箪笥なども、食器棚や居間の棚として使われていた。
弟が冷たい麦茶を出してくれて、川風の入ってくる家の中で、久しぶりに少しゆっくり話した。そのあと2人で、祖父母のお墓にお参りに行った。




↑ 祖母の家で見つけて、もらってきた古いアルミのお鍋。なぜか心が惹かれた。

↑ 内側にはお米を炊くための目盛が刻まれていて、蒸し器にもなる。これで京子に茶わん蒸しや蒸しパンを作ってあげようと思います。
(調べてみたら、やっぱりこれは、昭和30年代頃、炊飯器が一般的になる前に使われていた「文化鍋」のようです。祖母は亡くなる前まで、よく使っていた記憶が…。)




↑ 帰る時、母が作って持たせてくれた、キュウリの浅漬けとゴーヤの佃煮。キュウリもゴーヤも、実家の畑で採れたもの。私はこのゴーヤの佃煮にハマり、奈良に帰ってきてからも毎日せっせと食べている。ゴーヤ、ちりめんじゃこ、かつお節、ごま、ショウガが入っていて、これに熱いご飯があればもう何もいらない…。このところ夏バテ気味で食欲があまりなかったのだけれど、このゴーヤの佃煮のお陰で、ご飯をまたモリモリ食べられるようになりました。(チラリと写っているのは、夫が一生懸命作ってくれた冷しゃぶです。)

↑ まだいっぱいあります…♪ 作り方を教えてもらって、自分でも作れたらな〜…。



来年の夏は、木曽川の花火を、祖母の家で、京子や春奈や夫も一緒に、みんなで見られたらいいなあ…と、思っています。


留守番してくれた夫と京子、本当にありがとうね(京子は、「ちょうちゃんも、おばあちゃんちいきたかった!」と悔しがっていたけれど)。