薬拒否

今回の風邪では、京子はどんなにしても薬拒否…。
月曜日の夕方、ギャーと泣く京子を無理やり寝転がらせて、水で溶いた抗生物質をスプーンで口に放り込んだら、顔を歪ませてオエッオエッと身震いしていた京子が、カパカパカパッと直前に食べた夕ごはんを全部戻してしまった。この時はさすがに、「ごめん、京ちゃん、お母さんが悪かった、ごめん」と京子を抱いて何度も何度も謝った…。


京子は吐いたことに対しては何ともなさそうだったけれど、以来、薬を飲ませようとすると、どんなにしても口を開かなくなってしまった。好きだった水薬も、嫌がるようになってしまった。なだめてもすかしてもだめ、励ましてみても、どんなに褒めてみても、ヨーグルトに混ぜても拒否、大好きなストローでも拒否。薬を入れたコップとスプーンを持つ私にしっかり背中を向け、壁や窓の方を向いて、泣きながら部屋の隅っこへ逃げていく。


昨日から咳、今朝から鼻水が出るので、今日また小児科で薬をもらったのだけれど、ほとんど飲んでくれない。「京ちゃん、ほら、がんばって飲も」とか言って、京子の方へそろそろとスプーンを近づけていくとプイッと顔を背けるので、薬が床にこぼれる。一日中、そんなやりとりの連続で、私の方が泣きたくなってきた。とうとう、思わず京子の背中を叩いてしまった。京子は更に大きな声を上げて泣き、壁を伝って私から逃げていく。
「京ちゃんが薬飲んでくれへん〜…、もういやや〜…」と、半泣きで実家の母に電話をかけていた。京子に手を上げてしまった自分も、ショックだった。京子にとって危険なことを分からせるためではなく、ついイライラッとして上げた手…。そういう罰には、意味がない。子どもには、辛い記憶しか残らない。わかっていながら、してしまったこと…。
でも、電話で母にぐしゃぐしゃと泣き事を言いながら、久しぶりの涙が熱くて、このところ張りつめていた自分が緩んでいくような感じがした。どんなに格好悪くても、こうやって泣ける場所が、時には必要なのかもしれない…と思った。それが、私にとってはやっぱり母なのかなあと思う。子どもを産み、30歳になった今でも。
母は、「そんな無理に飲まさんでもいいんやないの?神経質になりすぎんでも、大した病気やないんやし、風邪なんてそのうち治ってくわ。鼻水ぐらい垂らしとってもいいやんか。子育ては、すべて思い通りになんて、いかへんよ」。
電話をかける私の膝に、いつの間にか京子がぴったりとくっついて寝転がり、絵本を見ていた。京子がくっついているところが熱い。さっき叩いてしまった小さな背中を何度も何度もなでた。


夜、夫に話すと、「今の京ちゃんに、見返りを求めたらあかんよな。京ちゃんが何かを返してくれるかもしれんのは、もっとずっと先のことで、今は親はひたすら与え続けるんやな」。そして、「時には気を抜くことも大事やで。そんなパーフェクトにやろうと思わんことやな。何とかなる、くらいに思っとってちょうどいいんやで。けど、親として常にブレへん何かは欲しいなあ…」。
親って、子育てって、難しい…。私もまだまだ人間として未熟すぎるし、ましてや母親になったばかり…。自分も、人として、母親として、もっともっと成長しなければいけないんだ…と思う。
上げてしまった手に心を痛めながら、それでも私を求めてくっついてきてくれる京子にほっと心を緩めつつ…、成長したい、と思った今日だった。