バルンくん

最近、京子が意味のある言葉らしいものをしゃべるようになってきた。最初は「偶然かな…?」と思ったんだけれど、どうも言い当てる確率が高いので、これはおそらくちゃんと意味がわかってしゃべっているのだろう、と私と夫は結論づけた。

水道の蛇口から水を出すと「ジャー、ジャー」。服の袖から手が出ると「デタ!」。何か物や人を見つけると「アッタ!」。私の口真似もするようになり、私が「あーあ」と言うと、京子も「アーア!」。


絵本の言葉も真似するようになってきた。
最近の京子のお気に入りの1冊、『バルンくん』。

バルンくん (0.1.2.えほん)

バルンくん (0.1.2.えほん)

最後のページは、「バルンバルン バルバルーッ ブロブローン ウオウオーン」で終わっているのだけれど、私が読み終わると京子も「ウオウオ!」と言う。


それから、長新太さんの遺作になった『ころころにゃーん』(「こどものとも0.1.2.」2006年4月号/福音館書店)では、最後のページが「ころころ ころころ」で終わっているのだけれど、京子は私が読み終わるのに続けて、ほかのページで「にゃーん」と繰り返されているのを真似てか、「ニャー!」と言う。京子が「ニャー!」と言うのを聞いて、「ああそうか、この絵本はここで終わりなんじゃなくて、また続いていくんだ…」と、気づかされた。


京子とは2か月頃から一緒に絵本を読んできたけれど、ここにきて、京子と一緒に絵本を読むことが、俄然面白くなってきた。今まで、絵本の仕事をしている実家の両親からもらうばかりだったので、実は今日初めて、赤ちゃん向けの絵本を京子のために自分で買った私である。
初めて私が京子のために買った絵本は…

たんたん ぼうや (0.1.2.えほん)

たんたん ぼうや (0.1.2.えほん)

おーくん おんぶ (0.1.2.えほん)

おーくん おんぶ (0.1.2.えほん)

どちらも前から気になっていた絵本で、今日絵本売り場でためしに京子に少し読んでみたら、「ダッダッ!!(もっと読んで!)」と騒いだので買った。
『たんたんぼうや』は画像がないけれど、神沢利子さんの踊るような言葉のリズムと柳生源一郎さんの大らかで楽しい絵がさすがだ。新しい絵本好きの京子だが、これはまたびっくりするくらい反応がいい。一度読んだだけで京子はすっかり『たんたんぼうや』のとりこになり、体じゅうで言葉のリズムに乗りながら聞く。読み終わると「エー!!」と泣き顔になって怒り、もっと読んでとせがむ。最初からまた読み始めると大喜び。「きゃっきゃっおさるが あたまをかいた みんなもあたまを きゃっきゃっとかいた」と読むと、京子も笑って同じように頭をかき、「ぴょんぴょんうさぎ」が出てこれば、京子もお尻を浮かせてぴょんぴょんする。家に帰ってから20回は読んだだろうか…。言葉が七五調で気持ちがいいので、読んでいる私も何度読んでも楽しい。
『おーくんおんぶ』の作者、片山健さんの絵は、昔から好き。水彩のタッチと色合いが、片山さんにしか描けない柔らかさで暖かい。


それから、先日母が送ってくれて、私も京子もお気に入りの1冊は、『まるくておいしいよ』。

まるくて おいしいよ (0.1.2.えほん)

まるくて おいしいよ (0.1.2.えほん)

「これなあに。」の後に、チョコレートケーキやビスケットやのりまきなど、まるくておいしいものが繰り返され、何度読んでも絵を見ても、楽しい1冊。気に入ったので、最近、友達にも贈った。


私自身が、福音館の絵本に囲まれて育った。子どもの頃に親しんだ絵本との思い出は、いつも私のベースにあり、その核に暖められてこの30年を生きてきたと言ってもいいと思う。そして、これからも、そのベースに関わることを、ライフワークにしていきたいと思っている。
不思議なことに、子どもの頃に読んだ絵本の印象は、何年経っても自分の中で、色褪せない。30歳になった私はもはや、今出会った絵本とは子どもと同じ心で触れ合うことはできない。でも、子どもの頃に読んだ絵本は、その時自分がその絵から何を読みとり、どんなことを感じたか、今も克明に同じ気持ちで思い出せる。魔法のようだ、と思う。

京子が生まれ、また赤ちゃんから、絵本を毎日楽しむことができる。私にとっても、読むこと、見ること、感じること、毎日の数えきれないこの繰り返しこそが学び。これも、京子に感謝。

またこれから、1冊ずつ大事に我が家の絵本を増やしていきたい。