1歳を過ぎて

「1歳過ぎると、また変わるで〜」と、前々からご近所のmasakoちゃんに言われていたのだけれど、本当にその通りで、1歳を境にできるようになったこと、変わったことがたくさんある。
一番顕著なのは、自分の欲しいもの、してもらいたいことを、指差しと「フン!フン!」(高い声)で、訴えるようになったことだろうか。ごはんの時、京子の前に何皿か並べると、あれこれと指を差して「フン!フン!」。一緒にお風呂に入れば、シャワーを触らせてくれとシャワーを指差して「フン!フン!」。読んでもらいたい絵本を持ってくる時も「フン!フン!」で、読んでもらえるまで、片手で絵本を持ち、お尻と足をよじよじ動かしてどこまでも「フン!フン!」と追ってくる。木のおもちゃが入った袋の口を開けて欲しいときも「フン!フン!」、抱っこしてもらいたいときは膝立ちをして両手を広げて「フン!フン!」。
不満な時には、いかにも悲しそうな声と顔で「ナーナーナーナー…」、機嫌がいい時や何かしようと張り切っているときは「ダ!ダ!ダ!ダ!…」。入れ物の中に積み木が上手く入ったりして嬉しいときには、高い声で「タッター!」と言って手をたたく。これが「ヤッター!」とか「ハイッター!」と言っているみたいに聴こえる。両手で顔を隠して(目は見えているけれど)「ンー…」と言って、「ダァー!」と両手を離すことがあるけれど、これは「いないいないバー!」のつもりみたい。
まだ、特定のものを差して意味のある言葉(単語)を話すことはないが、1歳になった頃から気になるのが「エシ!エシ!」とか「エイショ!エイショ!」。ハイハイやちょっとした動作のたびに、京子は「エシ!エシ!」「エイショ!エイショ!」と言う。…ハッと気づいたのだが、これ、私が「よいしょ、よいしょ」という時の口調にそっくりである。以後、自分の発する言葉によくよく気をつけてみると、ちょっと動くたびに「ヨイショ、ヨイショ」と言っている自分に気がついた。立ち上がる時に「ヨイショ!」(または「ドッコイショ!」)と言うのはもちろん、ちょっと物(洗濯物などの軽いものでも)を置いたりする時にも、私は「ヨイショ!」と言っていた。いつからか、すっかり口癖になってしまっていたのだ。更に気づいたのだが、夫も何かするたびに「よいしょ」と言っている。どちらからか移ったんだろうか…今となってはどちらが先かよくわからないが…。
とにかく、赤ちゃんが言葉を獲得していく過程をつぶさに目の当たりにできることは、私にとってとても楽しみで興味深いことのひとつだ。


1歳の誕生日を迎える直前、「まだよくわかっていない今が、すんなり断乳できる最後のチャンスだ!」と思い、断乳しようかと思った時があった。しかし、地元に帰って助産院で相談した結果、もう少しの間(数ヶ月)、続けることにした。「やめるのはいつでもやめられるけれど、やめたらもうあげることはできないから、もし迷っているんだったら、まだ時期も早いし、もう少し続けてみたら…?」という助産師さんの言葉に、納得したからだ。
しかしやはり、断乳しようかと思った1歳直前のあの時は、ギリギリのところだったようで、1歳を過ぎたとたん、京子はハッキリとおっぱいを認識するようになった。今では、「おっぱいが欲しい!」と思うと、隣の部屋までハイハイしていき、自分の体ほどもある授乳クッションをひきずってきて「ナーナーナーナー…!」と私に押しつけてくる。もっとも、3食ともわりとしっかり食べるし、お茶や牛乳も飲んでいるので、栄養や水分は足りているはずだ。それでも最近、気づけば甘えた声で「ナーナーナーナー…」と言って授乳クッションを私に押しつけてくるのは、私に構ってもらいたい時、甘えたい時なのかなあと思う。
「1歳を過ぎてからの母乳は、子どもの精神安定剤」と、どこかに書いてあったけれど、確かにそうだなと思う。おっぱいと母親の存在が結びついたことで、母親はおっぱいをくれる人、安心させてくれる人、しっかりと抱きしめてくれる人、という認識が生まれることが、1歳以降の授乳の意味なのかな…と私なりに思う。
もう少し続けて、「今だ」と思った時に、私は断乳しようと思う。「卒乳」でなく「断乳」を選ぼうと思うのは、それがきっと京子と私の双方にとって、第一段階の親離れ子離れ、そして我慢の時になるだろう、それはきっと双方にとって大事なことなんだろうと思うから。