新鮮な学び

昨日の午前中、市の「すこやか育児教室」に参加してきた。今回は昨年の2〜3月に生まれた子が対象で、今週と来週の月曜日の2回、会費は300円。定員は15組で、市の広報には「抽選」と書いてあったのだけれど、電話で申し込んだ数日後にあっけなく「参加できることになりましたので、来て下さい」と市役所から電話がかかってきた。申し込んだ人が少なかったんだろうと思っていたのだけれど、実際には結構多かったようで、運良く当たったみたい♪それでも、妊婦時代の「パパママ講座」の頃から顔見知りのお母さんたちが何人か一緒で、久しぶりの再会が嬉しかった。
昨日の内容は、「親子遊び・子どもの発達について(お母さん向けの話)・絵本の読み聞かせ」。最初の親子遊びで、リズムに合わせて京子を抱っこしてぐるぐる歩いたりしているときには、京子は「いったい何が始まったんだろう」という感じで、ちっとも笑わず、楽しげに歌う保育士さんの方ばかりを必死に見ていたが、帰る頃には広い部屋中をどこまでもハイハイしてまわり(出入り口のドアから外にまで出て行こうとしていた)、両手を盛んにふり、とても嬉しそうだった。途中20分ほど、子どもたちだけ保育士さんに預けて、お母さんたちは隣の部屋で発達相談員さんの話を聞いたのだけれど、その間も、他の子たちに交じっておもちゃで楽しく遊んでいたようだ。話が終わって私が隣の部屋へ戻ると、京子はボールの入った青い洗面器を、両手で持ち上げてひっくり返している最中だった。時々こうやって、同じ年頃の子たちと一緒に過ごす時間を作るのも、面白いなあと思う。
ところで、今日の発達相談員さんの話は、短かい時間だったけれど参考になることが多かった。まず、1歳前後の今の時期は、おもちゃを使った一人遊びも大切だけれど、それよりも大事なのは、人と関わって身体を使ったふれ合い遊びをたくさんすることなのだそうだ。大好きな人と目を合わせ、子どもが声をあげて笑う、そういう楽しい時間を共有することが大切なのだそうである。「子どもが喜んで、声をあげて笑う遊びをたくさんしてあげるといいですよ。そして『もっと遊んで!』という気持ち、それにこたえてもらう経験がコミュニケーションの土台になりますよ」と、昨日の発達相談員さんはおっしゃっていた。それから、2週間ほど前から、京子は私たちと向き合って遊んでいるときや、散歩のときに、盛んに指をさすようになったのだが、この「指さし」は、言葉を話す前提となる発達段階なのだそうだ。知らなかった。子どもが指をさした先のものを一緒に見たり、それが何であるかを教えてあげたりすることで、伝えようとする心が育ち、コミュニケーションすることの楽しさを実感し、大人とのそうしたやりとりの中で、子どもは言葉を獲得していくそうだ。それから、テレビやビデオは機械であるから、本当の意味での言葉の育ちは期待できないという、大切なことも(ちなみに我が家では、京子の目が見えるようになった頃、私と夫は昼間の「テレビ断ち」をし、テレビを観るのは京子の就寝後だけ。このことについては、またいずれゆっくり書きたいなあと思っています)。
1歳まで、あと半月。確かに最近の京子は、また日々変化していっているなあと感じている。私たちの話す言葉を、だんだん理解するようになってきたなあと、感じることも多い。例えば私が、「京ちゃん、おっぱいおっぱい」と言うと、授乳クッションをつかんで持ってきたりする。クマのぬいぐるみを使って、「こんにちは」と頭を下げたり、「バンザーイ」をしたり、「バイバイ」と手をふったりすると、まねをして一緒にその動作をする。
昨日、発達相談員さんの話を聞いて、あらためて「そうか、もう1歳になるんだ」と思い、夜、久しぶりに岩波書店の『育児の百科』を開き、「11カ月から満1歳まで」のページをじっくり読んでみた(この本は、本当に名著だと思う。著者の松田道雄さんが亡くなったため、絶版になってしまうらしいのだけれど…)。その月齢、年齢ごとに、大切にしなければならないことが、細やかに書かれている。うんうんとうなずくこと、それでいいんだと安心することも多い。この本の素晴らしさについても、またいずれゆっくり書きたいなあと思いつつ…(そんなことばっかりやなあ…)。とにかく、昨日はなんだか新鮮な気持ちで、勉強になりました。