懐かしの味

tamago-ayako2007-02-26

先週木曜日、いつものようにお昼頃、京子と散歩がてら駅前の百貨店に買い物に行くと…「出町ふたばの豆餅いかがですか〜?残りわずかで〜す!」…。
出町ふたばの豆餅」は、私にとって、京都で暮らしていた学生の頃、出町柳に行くと(たいてい自転車だった)並んで買って食べた、思い出深い味。大事に買って持ち帰って寮の友達と一緒に食べたこともあるし、友人や結婚前の夫と京都御所のベンチに座って食べたこともある。友人と3人で一軒家で暮らしていた頃にも、出町柳まで行ったついでに買って帰って、夜、お茶をいれてその日あったことなどを尽きることなく話しながら食べた。出町柳の店か、京都の高島屋まで行かないと買えないと思っていたので、思わぬ近所で久しぶりにお目にかかった懐かしの味に心を動かされ、思わず買った。
12時からの限定50パック販売で、残り3パックだった。1パックには5個入っていて、しかも「本日中にお召し上がり下さい」。「5個もいらん…1つか2つ食べれたら充分やのに…」と思ったけれど、5個入りパックしか売られていなかったので、それを買った。出町ふたばの豆餅を、一度に5個も買ったことなんて、ない。学生時代は、大事に2個か3個しか買わなかった(買えなかった)。今や夫も娘もいるこの年月の流れと、自分の生活や暮らしている場所の変化もしみじみと感じながら、出町柳の店と同じ包装紙に包まれた豆餅を買って帰り、夜、夫と一緒に食べた。夫も懐かしがっていた。この豆餅は、中に入っているこしあんだけがほんのりとやさしい甘さ。皮のお餅はまったく甘くなく、皮に入っているエンドウ豆はうっすらとした塩味。このとりあわせが、私は好きである。しかし、さすがにその日のうちに2人で5個食べきることはできず、結局その日に夫が1個、私が2日で4個食べた。翌日食べても大丈夫だった。
今度、私たちが出町柳に行けるのは、いつだろうか。出町柳の鴨川のデルタが、大好きだった。そのときには、きっと京子も一緒だろう。京阪電車に乗って、帰りにはきっと、出町ふたばの前に並んで豆餅を買って帰るのだろう(デルタで食べるのもいい)。


そうそう、京子は先週のはじめ頃から突然、何でも気前よくくれるようになった。京子があれこれと私にくれるようになって改めて思うのだけれど、この「どうぞ」「ちょうだい」のやりとりも、大事な遊びの過程のひとつなんだな…と。積み木も、ついこの間までは箱からポイポイとひたすら出すばかりだったのだけれど、昨日夫が、「京ちゃん、ちゃんと積み木を箱に入れるで」と言うので見ていたら確かに、出した積み木を次々と箱の中に戻すようになっていた。
今は、隣でちゃぶ台によじのぼってくる京子を阻止しながら書いている(お願い、これだけ書かせて〜!)。昨日までは、私や夫の膝を踏み台にしないと上れなかったのに、さっき突然「踏み台」なしで上っていた。今度は「ちゃぶ台の上に上ってはだめ」ということをしつけねば…。「何でも体験」でさせてあげることもあるし大切だけれど、やっぱり人として成長して生活していく上で、やっていいことといけないことは、少しずつ教えていかなければならない…。
それにしても、京子が積み木をひとつずつ確実に箱に入れていくのをじっと見ていると、私の中で小さな小さな命の粒に過ぎなかった京子を思い、本当に不思議な気持ちでたまらなくなる。