今年の桜

tamago-ayako2006-04-08

昨日の夕方、京子を沐浴させたあとぐっすり眠ったときを見はからって、家の近くを少し散歩して満開の桜を見た。ちょうど半月がのぼり、夕方の群青の空に桜が浮かびあがっていた。
西行のあの歌を思い出す。
願はくは 花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ
満開の桜の下を歩くとき、ふっと西行の願いが切ないほどによくわかるような気がすることがある。誰の詩だったか、大学の哲学の講義で先生が紹介された詩も思い出す。確かこんな詩だったと思うが…
桜吹雪の下をふららと歩けば 
突然、名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生は愛しき蜃気楼
毎年、自分のなかでなんとなく「今年の桜」を思っている。その年に、はっと心に映った桜。年によってそれは、東本願寺の境内の端にひっそりと咲く桜だったり、学校の校庭の隅に咲く桜だったり…。今年の桜は、家から一番近くにあるこのソメイヨシノ。京子の誕生とこの桜が開くのを楽しみにしていた。
産後の体はまだなかなか思うように動かず、ゆっくりゆっくり一歩ずつ確かめながらの夕方の散歩だった。小さな花の咲く地面や道端の雪柳を眺めながら春の匂いをかぐ。こんなにゆっくり周りのものや地面を見つめながら歩いたのは久しぶりのような気がした。
家に戻ると、京子はまだすやすやと眠っていた。