2007年の暮れに

tamago-ayako2007-12-30

今日で、京子は満1歳9か月。ますますよくしゃべるようになり(「ちょうちゃんと、おかあさんと、いっしょに、ちぇんたく(洗濯)たたむの」とか)、かるた遊びもできるようになった。

ぐりとぐらかるた

ぐりとぐらかるた

11月に実家の母から貰ったのだけれど、京子はいつの間にか、このかるたを、ほぼ100%間違いなく取ります…(夫と私は京子に求められるがまま、遊んでいただけ…)。ひらがなはまだほとんど読めないから(「の」「ぬ」「め」「た」は、形が面白いから覚えたらしく、読める)、絵を憶えてしまったらしい。


天気予報では、雪のマークが出ていたが、今日は午前中も午後も暖かい日が差した(風は冷たいけれども)。午前中に、玄関回りの掃除と窓ふきとベランダの簡単な掃除だけして、玄関に小さいしめ縄を飾った。あとは明日、キッチンを少し掃除して、鏡餅を飾ろう。
やはり、新しい年を迎える前にしておきたいことが幾つかあって、そわそわとするのは、目には見えないけれども、幼い頃からの習慣なのだろう。私が子どもの頃、実家では年末になると石臼を出してきて、庭で火を焚いて、昔ながらの大きな蒸篭(せいろ)でもち米を蒸し、祖父と父が杵で餅をついた。冷たい水でぬらした手を入れて、介添えをするのは祖母や母。私や弟もこわごわつかせてもらった。私が中学生になった頃には、臼でつくのはもう大変だからと機械だけでつくようになったが、少し寂しく思ったのを憶えている。それでも、年末に家で餅をついて、みんなで鏡餅を丸めるのだけは、今でも続いている。それから、自分の部屋の大掃除だけはすませないと、遊びに行かせてもらえなかった。普段は仕事が忙しくて、ごはんの時しか台所に立たない母が、年末には、大掃除やお正月の準備で1日中台所にいて、掃除をしたり料理をしたりして、立ち働いている姿を見るのも好きだった。父は、家の回りの掃除やしめ縄飾り。祖母はお墓の掃除。そういう、自分の家の年末の動きが、知らない間に体に沁み込んでいるのだろう。
夫はというと、あれこれしなくちゃ、とパタパタしている私の横で、ゴロリンと新聞を読み京子と遊び、別段そわそわした様子もなく、いつも通り。年末の雰囲気のカケラもない。聞いてみると、子どもの頃、年末に大掃除を手伝ったりしたことがないという。これはもう、それぞれの家や人の習慣なんやなあ…(もちろん、頼んだことは何でも快くやってくれますが)。
石臼で餅をついたり、家族で鏡餅を丸めたり…なんていう年末は、我が家ではなかなかできないけれども、我が家でできる、年末らしいささやかなことは、何かずっと続けていけたらいいなあと思う。そういうことが、子どもの中で、大人になっても小さな灯のようにともり続けるものになるのだろう。


昨日の夜は、新しい手帳に、1月以降の予定を書き込んだ。結婚してから、4冊目になる手帳。結婚後、私に分厚い手帳は必要がなくなったので、来年も月カレンダーだけの薄いものだ。今のところ、なんとなくイメージできるのは、3月の出産まで。家族が4人になったら、どんな生活になるんだろう…。不安だらけだけれど、具体的に手帳に書いてみたら、しなければならないことが、わりとはっきり見える気がした。そんな夜だった。


明日は、黒豆を炊いてゴボウを煮て過ごそうと思う(これも、実家のお正月の料理)。明日の夜は、お蕎麦かな。よい年を迎えられますように…。